むのきらんBlog

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自由に考えよう

教科書は国のものか。韓国の歴史教科書。

・韓国の歴史教科書国定化と検定。

歴史認識は誰が決めるべきか。

・自由、多様な価値観、学問を尊重するのは誰か。

1.「国定」と「検定」は異なるが、いずれも教科書の良し悪しを国家が決める、という共通点はある。

私は、基本的には、教育は多様であるべきと考えているので、教科書とそこに盛られた歴史観多様性を尊重したい。ただし、明らかな事実関係や科学的な誤りは、当然に正していくことが必要だ。本来、それは教科書作成者、教科書選定者の責務だが、現実にはそれが不十分なケースもある。だれがそれを担保するのかが悩ましい問題だ。結局のところ、「自由な言論」、「学問的検証」、「透明性」の確保につきるようにも思う。

 

2.韓国、日本、テキサス、いずれも議論の内容は異なるが、歴史認識の問題であることは共通だ。

韓国と日本の違いを大きくとらえる方もいる。幸いなことに現状はそうだろう。しかし、自民党憲法草案どおりの憲法改正になったら、その差は縮小されることが懸念される。もちろん、戦前は、明治史観による国定教科書であり、今日の学問的観点では疑問な内容だったのだ。(戦前も変遷はいろいろありますが、ざっくりと。)

 

 3.<政府に抵抗する人々は一様に民主主義の衰退を懸念している。>

・・・これは事実だろう。一方で、その方々が政権を取ったら新たな「国定教科書」を作るのではないか、という疑問を私は禁じ得ない。

 

4.一番重要なのは、真に、自由と多様な価値観、そして学問を尊重しようとしているのは、誰かということだ。言い換えれば、ある事象についての歴史認識が異なっていても、この点で共通点があれば、お互いに一定の合意は可能だ。一方、特定の歴史観のみが正しく、それを強制すべき、という立場であれば、当然に合意は不可能である。

 

5.歴史認識を政治の道具にしてはならない。歴史認識には主観性が伴うが、だからこそ、できる限り客観性を求めていくという姿勢こそが重要だ。