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「原爆投下は必要だった」説を検証する~米兵の命か、ソ連牽制か~

  • 前回、原爆投下は戦争犯罪だったかどうか、について考えました。

なぜ原爆投下は戦争犯罪か~アメリカ人にきちんと説明できますか~ - むのきらんBlog

 

今回は、アメリカに根強い

「原爆投下は米軍将兵の生命を救うために必要であった説」

について考えます。この説は正しいのでしょうか。

 

(目次)

 

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原子爆弾リトルボーイ(実物) リトルボーイ - Wikipedia より

 

  • 代表的な見方

これについては2つの見方があります。

(1)日本の抗戦意思を砕くために原爆投下は必要だった

(2) 原爆投下をしなくても「ソ連参戦」で日本は降伏することをトルーマン大統領は知っていた

 

(1)は、米国でよくある考え方。

(2)は、日本の一部で言われている考え方です。

 

(2)には、「だからむしろソ連への牽制として原爆の威力を見せつけるために投下したのだ」という主張がついてきます。

  

  • 歴史を見てみましょう

  •  時系列を確認します

太平洋戦争の年表 - Wikipediaより

1945年 

2月 クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談(ヤルタ会談)。

4月5日 ソ連、日本に対して翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達。小磯国昭内閣が総辞職。
4月12日 アメリカ大統領のルーズベルト大統領急逝、後継に副大統領ハリー・S・トルーマン。

  ・・・・・・

7月16日 アメリカが原子爆弾の実験に成功し、マンハッタン計画完成
7月16日-17日 平塚空襲
7月25日 米国、原爆使用を決定し投下命令を下す。
7月26日 ドイツのポツダムで英米ソ首脳会談、ポツダム宣言発表、日本これを黙殺。
7月28日 米海軍、呉軍港爆撃(呉軍港空襲)
7月28日 青森大空襲。(米軍、青森へ新型焼夷弾を投下)
8月6日 米軍、広島に史上初の原子爆弾投下。
8月8日 日ソ中立条約を破棄し、ソ連対日宣戦布告、満州国と朝鮮半島に侵攻。(ソ連対日参戦)
8月8日 福山空襲
8月9日 釜石艦砲射撃
8月9日 米軍、長崎に原爆投下。御前会議でポツダム宣言の受諾を決定。

 

  • アメリカはソ連の参戦を知っていたか

2月のヤルタ会談において、ドイツ降伏後2ヶ月または3ヶ月を経てソ連が対日参戦することが取り決められました。ヤルタ会談 - Wikipedia

ドイツは5月8日に降伏しました。ですから、3か月後の8月8日までにソ連は参戦することを米国は知っていました。

したがって、原爆投下はソ連への牽制の意図がある、ということは言えるでしょう。

 

  • 一方、日本の降伏はどうでしょうか。

4月にソ連は日本に、翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達しました。にもかかわらず、日本は、7月のポツダム宣言を「黙殺」と発表してしまいました。これは戦争を継続する意思の表れととられても仕方がありません。(「黙殺」については、事情がありますが、そこは省略します)

 

アメリカからみれば、せめて6月に沖縄をとられた時点で降伏するのがアメリカの常識でしょう。日本に勝ち目はなくなっているのは、明白だからです。日本が講和を求めていることは認識していたとしても、現に戦争は続いています。

ソ連参戦で日本は降伏するかもしれない。しかし、降伏しないかもしれない。その場合は、九州上陸という本土侵攻作戦をすることになります。

それをしないために原爆を投下する、ということは十分に考えられます。

 

つまり、ソ連への牽制という意図は否定できない。しかしその一方、戦争の早期終結のための広島の原爆投下だったという意図も否定できない。この2つは、どちらか、ということではなく、両方である、ということが、妥当な解釈ではないでしょうか。

 

  • 長崎はどうか

8月8日のソ連参戦の翌日9日の長崎の原爆投下については、複数の原爆を持っているぞ、というデモンストレーションという意味と、2種類の原爆を試してみる、という両面があったのではないでしょうか。1発で十分ではないか、「広島」の結果を待ってからでもよかったのではないか、という見方も当然ありますが、前述の目的を十分達成するための判断だったと思います。

 

これは丁度、上陸作戦を行う際の艦砲射撃を、必要十分な範囲で行うか、念には念を入れて、多すぎるほどの砲撃を行うか、という判断と似ています。長崎投下は、目的を十二分に達成するための2発目であったと思います。

 

  • 他の攻撃も続けられていた

年表をもう一度見てください。原爆の前後にも、青森、福山、釜石、大湊といった各地で空襲などの攻撃は続いています。つまり、米国にとっても、日本にとっても、戦争は続いていたのです。原爆は、基本的にはそこに投入された兵器の一つに過ぎません。

無差別都市爆撃も、有名な東京大空襲を始め、各地で行われたわけです。 

 

結果が分かっている私たちは、そこから逆算して当時の意図を考えます。しかし、重要なのは、その時の当事者の視点で考えることです。

  

  • まとめ

 したがって、冒頭の問い。

(1)日本の抗戦意思を砕くために原爆投下は必要だった

(2) 原爆投下をしなくても「ソ連参戦」で日本は降伏することをトルーマン大統領は知っていた

 

については、日本はいずれ降伏するだろうと米国は知っていた。そしてソ連への牽制として原爆投下という面もある。しかし、基本的には戦争の早期終結のための投下であった、と考えます。

  

  • 前回の問いとの関係

今日の国際法と倫理に照らせば、原爆投下はすべきでないことです。

そのことと、戦争終結を早めるためならば、国際法と倫理を破っていいか、というのは別の問いです。

これらの問いをごっちゃにすると、無用な対立を深めるだけです。

 

前者は、大体だれでも「そうだ」と頷くでしょう。

しかし、後者の問いは、今日でも残る大きな問いなのです。

たとえば、「あなたは自分や家族の命を守ることと、法律や倫理を守ること、どちらを優先しますか」という問いに置き換えれば、容易に答えられるものではないことが明白になるでしょう。

  

  • 2つの問いか、1つの問いか

したがって、米国で根強い「原爆投下は必要だった、やむを得なかった」論を、安易に批判することはできないのではないでしょうか。

「原爆投下は犯罪的だった」ということと、「それはやむを得なかった(かもしれない)」ということ。

 その2つを両方とも受け入れることが両国の国民にとって必要ではないでしょうか。

 

それとも、「犯罪的だから決してやってはならないことだった」という一つの問いに絞って、YES,NOとしたほうがいいでしょうか?

私には、その2択を迫ることはできません。自分がその立場におかれたら、非常に悩むだろう、と思うからです。

 

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