「軍人」が悪かった。「軍部」が悪かった、というのは簡単です。しかし、そのように、「悪者」を「自分とは別の人たちだ」「自分は善であいつらは悪」と断じる姿勢を、水木氏はとらなかったのではないでしょうか。 つまりは、だれもが「ねずみ男」にもなりうる、というようなことです。(私は「ねずみ男」が好きなので。)
今や国際社会公認の「悪者」たるISのメンバーも、彼らなりの正義に殉じている、そういうようなものです。旧日本そして旧日本軍には、いろいろ問題点はありましたが、悪魔の集団であったわけではないのです。普通の人がガリガリ勉強して陸大などを経て将官になり、普通の人たちが召集されて構成された集団です。
水木氏が素晴らしいのは、人と妖怪を共に生きるものとして、そのように連続的に見る視点だったのではないでしょうか。
そういったところを「正義のために戦っている人」の一人であろう筆者にも、感じ取って頂きたかったようにも思うのですが。
2015年12月09日 17:55
***コメントを頂いて***
Makio Koyamaさん コメントありがとうございます。
<水木しげる氏が正義の戦いなど肯定することは無かったと思いますけどね。 それでも守りたいものを護る為に戦うことを肯定し、そういう作品を残しています。>
・・・そういうことでしょうね。双方がそれぞれにとっての「守りたいものを護る」為に戦いは起きるわけですし。それが、人間の「自然な感情」の発露であり「自然なありよう」というものでしょうね。