●最高裁への反論
1.男女平等に反するものではないか。
確かに、法的に見た場合、最高裁の言うように、男女どちらの姓も選べることから「男女平等」に形式的に反するものではない。
2.女性に不都合があるか。
一方、社会的にはこれまた最高裁が認めるように、一般に女性に不都合がある制度であることは事実。
3.通称使用である程度解消しているから合憲か。
さらに、最高裁は通称使用によって、その不都合はある程度解消している。だから合憲という扱いだが、これは論理矛盾だ。
通称使用で不都合が解消され、それで通称つまり事実上の男女別姓を選んだ人に対して」「社会的な不都合」がない。もしくは比較の問題として少ない、ということならば、男女同姓を義務づけを正当化する根拠にはならない。
これは「法律上の本当の姓」と「通称」の使い分けを推奨していることになる。
この使い分けを正当化する合理性は全くない。むしろ社会を混乱させるだけである。
今回判決は、「男女平等に反するから違憲」とはいいかねる、という内容と解すべきだ。「違憲とはいいかねるから合憲」ということにはならない。
4.人格権の問題だ。
つまり、憲法の法理的にみると、本件は「形式的男女平等」には抵触しないということは言える。そうではなく人権の要素である人格権の問題だ。それを法律が制限することには、強い公共的必要性が求められる。通称使用を是認する最高裁は、強い公共的必要性を自ら否定したことになる。
したがって通称使用を最高裁も社会も是認している以上、民法の規定は、人格権への過度の干渉として違憲判決を出すべきだ。
(なお、訴え側にこの論拠があったかどうかは未チェックなので、判決の構成としてこれが出せるかどうかは、検討の余地がある。が、もしもその主張が訴えにないとしても、最高裁はきちんと判断すべきである。もしくはそれは今回判断しない別問題として明示すべきだ。)
●「素朴な意見」への反論
しばしば見かける素朴な意見は次のようなものだ。
5.「自分は同姓がしっくりくるし不都合がない。だからいいじゃないか」。
このバリエーションには、「家族は大事」、「別姓だと家族が崩壊する」などがある。
では仮に多数派が「夫婦は別姓でないと結婚の登録ができないようにするほうがしっくりくるし不都合がない。だから結婚時の改姓は認めるべきでない」となった場合、それを認めざるを得ないはずだ。
自分の価値観は自由だ。しかし現在の法律は、多数者の価値観で少数者を縛っているのだ。立場を入れ替えて考えてみたらどうだろうか。今の法律を支持する考えは、イスラム法で国民を縛るサウジアラビアなどと同じ発想なのだ。
6.「他国がどうあろうと、日本は独自に判断すべきだ。」
これは一理ある。他国が間違っていること、他国のルールが日本に合わないことはあり得る。
ただし、ほとんどの先進国が男女別姓を認めているという事実に対して、日本だけ違うことをするという場合は、強い論拠がいる。論拠は「伝統的家族観は大切だ。だから同姓でなければならない」、という、極めてあいまいなムードに過ぎない。前者と後者を「だから」で短絡的に結びつけることが問題なのだ。
7.「家の姓が一つなのは日本の伝統」
これは「日本の伝統」への理解が浅い。
もともと、「氏姓」と「名字」は別。それこそ「日本の伝統」。
それを、明治にあらためて家の「氏」と定義して法的に一本化したわけ。なので、姓と言ったり、氏と言ったり、名字(苗字)と言ったりする。
本件は、こちらが詳しいですね。姓氏の雑学
法務省の解説。
法務省:選択的夫婦別氏制度(いわゆる選択的夫婦別姓制度)について
民法では「氏」と表現されていますが、法務省によれば<民法等の法律では,「姓」や「名字」のことを「氏」と呼んでいる>ということです。