むのきらんBlog

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自由に考えよう

毎年恒例の二項対立

 

この手の話しは毎年の恒例。申し訳ないけれど、二項対立を否定しつつ、知識とマスコミ情報におぼれて、意識せずに二項対立に陥っている。

 

<この年がターニングポイントとして、後世に語り継がれるような予感さえある。> ・・・客観的表現のようだが本人の印象を伝えている。911テロでも同じことを言う。テロの犠牲者は、圧倒的に先進国以外の国々。マスメディアに洗脳されている。

ただし、こういう見方をする人も多いことも事実であることは認めざるを得ない。世界は人々の認識で動くのだ。

 

<『公正』と『効率』と『反合理と反知性』では、矛盾しているどころか、正反対だ。>

・・・筆者は2項対立を否定し、新たな二項対立を打ち立てている。 公正と効率は完全に対立するものではなく軸が異なるだけ。両方の最適解を探すのが知性主義。

 

<現代では、『公正』と『効率』は完全に解離していて、『効率』を最大限追求した結果、巨大な経済格差が生まれた。>

・・・「効率」が実現した巨大な正義に目を塞いでいる。平均寿命が延びたのは「効率」の勝利。「公正」の要素ももちろんあるが、「公正」で平均寿命が延びたなら、公正の勝利で筆者の思い込みの否定になる。

 

 <文化は『公正』とも『効率』とも関係ない。むしろ感情的で主観的でベルが指摘するように、時に反合理で反知性でさえある。>

・・・文化は感情と理性が混ざった作品。公正や効率ゼロの文化は存続しない。ポイントは「文化の粘着性」(造語)。ある時代に公正で効率的な文化が、感情資産として継続される。

 

(日本は)<『公正』さえかなぐり捨てて『効率』一本になっている。>

・・・イデオロギー的視点。自らのイデオロギーに沿ったことしか見えなくなる。

 

二項対立が好きな方にとっては世界は引き裂かれているように見える。

しかしEUがもめるのは両方のベクトルがあるからだ。誤解されやすいのは、「相互に対立するベクトル」ではなく、「対立しようというベクトル」と「対立を避けようとするベクトル」との「対立」ということ。(EUについて若干、理想的表現ですが)

 

二項対立を脱するのは、それらを共存させようとする意思と知恵だ。たとえば各種の宗教が相互に尊重し共存させる営みです。