むのきらんBlog

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自由に考えよう

テロの危険が増えても守らねばならないものはあるのか

 

 

この畑恵氏のエントリーは大筋として賛成であり、支持したいところだが、ちょっとためらった。 というのは、筆者の主張は新たなレッテルも含んでいることもさることながら、「中間派」には響きにくいのではないか、と思うからだ。

 

 「イスラム教徒や移民を排斥すれば、テロの危険は減少する」

(だから排斥は良くない、という)この畑氏の主張については、2つの問いが導き出せる。

1.これは「明らかに誤り」なのだろうか。

2.もしテロの危険が増加しても守らねばならないものはないのだろうか。

 

1.極端なケース、「鎖国」を行えば、外国由来のテロは論理的にはなくなる。

ただし現在はホームグローンテロもあるので、そうとはいかないが。また、イスラム教徒や移民をまるっと排斥することは、当然に国内外の該当者の反発を呼びテロの温床になる。 つまり長期短期、直接間接の影響というものを総合的にみないで、あっけらかんと「排斥はテロを増やす」と主張するのは非科学的だ。

 

2.仮にイスラム教徒や移民を排斥することで、テロが減少するとする。

それなら、その「差別」は容認されるのか。 これは誤解されやすい問題だ。

「差別イコール非合理」ではない。「科学的・合理的な差別」はある。

 

ただし科学的合理的だから差別を容認していいというわけではない。それが「良心」の問題だ。自分が逆の立場になったと仮定して、その合理的差別を受け入れられるか、と考えてもいい。 ここに絶対解はない。仮に絶滅の危機の場合はおそらく「良心」より生き残りが優先だ。したがって二つの視点を同時に考えることが重要だ。

 

そしてそれには、リスク(この場合テロで失われる人命など)の客観的、相対的な比較が重要だ。

先進国のテロは大きく報道される異常な事件であるがゆえに、そのリスクは過大評価される。それはマスコミ報道の大小に自分の判断を委ねることだ。それこそが「テラー」(恐怖)で社会に衝撃を与えるという、テロリストの思うつぼなのだ。

 

3.自らの内なるポピュリズムやエゴイズム

ポピュリズムやエゴイズムに陥ることなく、不安や恐怖に流されてしまうことなく、私たちはどこまでその理性や良心を健全に維持し、機能させ続けることができるのかー>

・・・他人をポピュリズムやエゴイストと批判することは簡単だ。しかし、まず自らの内なるそれらと付き合わねばならない。そうしてこそ、揺れ動く多様な感情や考え方と対話することができるのだ。畑恵氏の主張がそういう意味であるならば、私は支持する。