安倍政権は米国追従の「みそっかすの弱虫」なのか。
国連中心主義を貫くこおとと「米国追従」は両立しないのか。
安保理が機能していない場合、日本はどうすべきか。
筆者は、安倍政権を米国追従の「みそっかすの弱虫」と批判している。
それはひょっとして一理はあるかもしない。だが申し訳ないがそれ以上ではない。
<国際社会の取締役会はあくまでも国連安保理であって、米国や、米国の言う「有志連合」ではない。「有志連合」というのは、いわば「ガキ大将の論理」で、「何事も自分に黙ってついてくる者だけでやろう」という程度の考えだ。とても後世の歴史の検証に耐えられたものではない。>
・・・そうかもしれない。同じく、国連安保理の実像も、後世の歴史の検証に耐えられるもんのではないことも、確認しておくべきだ。
国連安保理はどうあるべきか、どうすれば国連安保理があるべき機能を果たせるようになるか、それを日本は考え、行動する必要がある。
一方、安保理が機能していない現実を見据えた上で、より高い大義のために行動することは道義上も安全保障上も理にかなっている。
それを、「取締役会が決めないから悪いのだ」と安保理のせいにして何も行動しないこともまた、「みそっかすの弱虫」である。
安保理はあくまで手段であり、目的ではない。大義とプロセス、べき論と現実論、長期と短期を混同してはならないのだ。
政治家ならば、他人を批判する際には、有効な対案を出さねばならない。