COP21は拘束力のある議定書は見送りになったが、全参加196カ国(と地域)による「パリ協定」が締結された。
1.イデオロギーで見るのは、解決を遠ざけるだけ
<地球上の限りある資源は、特定の国、特定のカネ持ちだけのものではなく、等しく人類のものであるし、地球そのものは他の動植物なども含め、地球上のすべての生命のものです。>
・・・この結語は全く同感。 ということで支持したいところですが、案の定、お話が米国と資本主義、自由主義批判になっていって、ずっこけています。困るなあ。
米国批判は結構ですが、返す刀で、日本や中国を批判すべきです。私たちは一人当りではいまのところ中国よりも多くのCO2を排出していますし。
2.先進国悪者、発展途上国善玉、という幻想
<自分だけが快楽を楽しめればいいという先進諸国の発想が発展途上国に受け入れられないことも当然>
・・・この現状認識はちょっと違う、発展途上国の人たちも、先進国と同じように快楽を楽しみたいわけ。現在の排出量を別として、どちらが道義的、倫理的か、ということは観察できません。むしろ一般に発展途上国のほうが、一層むき出しの営利、個人利益追求に走っている、というのが現実です。それは先進国の「搾取」という側面もありますが、多くは自らの動機です。汚染だらけだった高度経済成長期の日本が一例です。
筆者は反資本主義なので、どうしても「反ビジネス」(イコール国家ビジネスのみ認めるということ)になりますが、「反ビジネス」という単純な枠組みでは本件は解決できません。
3.ビジネスや経済学的な視点が重要
環境悪化という「外部不経済」を「排出者の負担」になるように「内部経済化」することが重要なのです。炭素税や排出権取引はその手法です。倫理面は重要ですが、それだけをいくら訴えても、実効性はありません。経済学的にみて炭素税は、他の租税よりも「筋がいい」税金です。他の税金は基本的には経済を阻害するのですが、炭素税は外部不経済を内部化するので、大きな意味での経済のためになるわけ。 日本は率先してこの旗を振るべきです。
4.必ず出る温暖化懐疑論
こういうエントリ-への反応には、温暖化懐疑論が必ず出ます。それは言論の自由ですが、科学的根拠に乏しいことをまず自覚すべきでしょう。そうでなければ、世界中のほとんどの科学者が間違っているという科学界否定の陰謀論を支持している、ということになります。
5.「温暖化したっていいじゃないか」論
「CO2が増えたって、温暖化したっていいじゃないか、長い地球の歴史を見れば」論もよくあります。 産業革命以降1度の上昇、そして2度以上の上昇は極めて急激な変化です。(超大規模な火山噴火や、超大型隕石落下を別とすれば)。
3度以上上昇しても、もちろん、生物は生き残ります。人類も全滅しないでしょう。 しかし、現在の我々が暮らしている地球生態系、大気、水、食料に、重大でかつ不可逆的な変化が起きること、起きていることは、ほぼ確実です。その変化と影響の大きさと内容は、十分に予測できないのです。それを「別にいいじゃん」と考えるかどうか、です。 それは災害だけでなく、政治的軍事的な安全保障や、食料安全保障にも関わることだと考えます。危機が現実になってからこんなはずじゃなかった、と言っても遅いのです。(残念ながら、もう手遅れかもしれませんが。)
6.温暖化論議は原発推進のための陰謀か
こういう見方もありますが、ならば世界の科学者のほとんどは陰謀家ということになるわけ。私の原発再稼働及び新型原発の開発と増設賛成論は、まさにCO2ゼロエミッションの途だと考えるからです。 再生可能エネルギーの開発と利用は重要ですが、それでは現在のエネルギー需要とエネルギー利用形態を賄えません。両者は対立するものではなく、エネルギーミックスとして組み合わせて最適化させるべきものです。