「老害」チェックリストなるものを、日経がつくったそうです。
マネをして、「若害」チェックリスト。つくってみました。
(1)スマホの操作が得意なので、なんでもアプリでできると思っている。つい上の世代の仕事のやり方に口出ししてしまう。
(2)つい自分のしょうもない体験談や自慢話をしてしまう。
(3)以前の人間関係のパターンを引きずり、先輩や上司にも人としてフレンドリーに接しようと思って、ため口で話してしまう。
(4)経験がないことが当たり前なので、年寄りにはできないことが自分にはできると思う。
(5)スマホができるので、デジタル技術をそんなもんだとなめている。PCはださいと思っている。エクセルやパワーポイント? できますと言って、エクセルの計算結果をチェックしない。
(6)電話を取るのは先輩の仕事だと思っている。電話に出ても相手の言葉にいらいらして、横柄に話してしまう。キレることが若さの特権と思っている。
(7)働く理由について「就職しないととやかく言われるから」など、周囲の評判を基本に考える。
(8)「給与が半分になったから、仕事も半分しかしない」ことは当然と考えている。
(9)自分らしさや個性を大事にするので、人の話をもともと聞かない。
(10)「この仕事は自分に合わない」と、与えられる仕事のより好みをする。
どうでしょう。
6つ当てはまったら立派な『若害』(ワカガイ)。3個以上あると若害候補になる、のかも。私も結構当てはまるような。
私は、若かろうが、年寄りだろうが、基本、同じように容赦せず接することがフェアだと思っています。もちろん、若いからならではなのこと、年寄りならではなことはある。それは受け止めたい。
しかし、若さや年を取ったことは、免罪符として使うべきではないと思う。そう扱うことは、ある種の差別だし、自分とは違う、というある種の上から目線の傲慢さにも通じるので。
「老」は当然「害」ではない。「若」も当然「害」ではない。「老人力」もあれば「若者力」もある。物理的年齢やそれに伴う脳の状態は当然異なる。しかし、精神年齢や頭の柔軟性、硬直性は、基本的には、本人のものだ。年齢が若くても、精神的に「老害」の人もいるし、年寄りでも、精神的に「若い(成長しつづける)」人もいる。
どちらになるか、どうなるか、それは自分自身の選択ではないだろうか。
こちらの「若き老害」の方の記事もそれなりに面白いです。