・チャレンジしないのは自分のせいだ、と大人は言う。
・「いや社会が悪い」という人がいる。
・「生きる力」と「選択する力」
こういう議論は、不毛になりやすい。「チャレンジしにくい」のは、個人なのか社会なのか、そんなの両方に決まっている。
社会という場合は、やはり制度論を押さえることが不可欠です。具体的には正社員の身分保障であり解雇規制です。エントリーが批判する「新卒一括採用」も、実はこの解雇規制が大きく影響しています。企業を批判する前に、法制度改革を主張すべきです。解雇規制は、再チャレンジを妨げ「格差」の温床です。
一方、個人に焦点を当てる場合は、若者が「絶望の世代」などの自己認識することを問い直すことが重要です。それは教育の役割です。 こういうと語弊がありますが、教育において、社会のせいだよね、社会が悪いね、と教育するから、「そうか社会のせいなのか」となるわけです。
制度論的、社会論的にチャレンジしやすい、しにくい、はもちろんありますが、どんなにチェレンジしやすくても、チェレンジしない人はしない、する人はする。 ひところ「生きる力」の議論がありましたが、それは他人のせいにするのではなく、「自分がどう選択するか」というマインドセットを持つことに尽きるようにも思います。