むのきらんBlog

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自由に考えよう

もし同性愛が少子化の原因だったら批判すべきか

●同性愛が少子化の原因でないから同性愛は尊重せねばならないのか

●非婚、晩婚はけしからぬ、という論理

●「非婚のコスト」の負担

 

 

●同性愛が少子化の原因でないから同性愛は尊重せねばならないのか

<県議が主張された同性愛を「認めれば少子化が進」むですが、これもとても説得力があるとは思えません。 >

・・・県議発言を批判するブロガーやコメンターの多くは、これを批判の論拠の一つとしています。

しかし、それは、県議の発言を批判する根拠になるでしょうか。これは結構深い問題です。

 

確かにLGBT少子化の主要因ではないでしょう。あくまで仮定ですが、もしも少子化の結構大きな要因だったとしたらどうでしょう。 私は、それでもLGBTを「排除すべき異常」と呼ぶべきではないと考えます。

 

●非婚、晩婚はけしからぬ、という論理

少子化の主因の一つは、非婚化及び晩婚化(と、それに関連した出産開始年齢の高年齢化)です。その要素には社会的経済的要因はいろいろありますが、当事者たちの選択である要素も大きいのです。 それを排除すべき「社会的に異常」と呼んでよいのでしょうか。 ちょっと前までは、そういう雰囲気があったわけです。いい年して未婚の人は肩身が狭かったわけ。 また、1941年の「人口政策確立要綱」では、これを国策として各種の飴と鞭を進めました。「独身税」など経済的方策だけでなく「(イ)人口増殖の基本的前提として不健全なる思想の排除に努むると共に健全なる家族制度の維持強化を圖ること」など、思想面の締め付けも含みます。

 

そういうことはどこまで妥当なのか、という問題です。

たとえば、結婚しない人を非国民扱いすべきか、ということ。 もちろん出産ゼロになれば、社会は持続不可能であり論外です。しかし諸外国でも、それはありません。 私の主張は、仮にLGBT少子化に一定の因果関係があったとしても、LGBTを社会的、制度的な異常者として排除すべきでない、ということです。

 

●コストの話しは別の議論

もちろん、少子高齢化に伴う、各種の社会的経済的コストに対する費用負担、再配分はどうあるべきか、税制も含めた議論はありでしょう。それはそれで、客観的に議論すべきです。 そのことと、多様な価値観の尊重は両立します。 もし仮に、晩婚、非婚、少子の人には重い税を負担していただくとしても、その方々を「異常な非国民」と呼ぶべきではありません。それはLGBTでも同じことです。

そのことは、例えば、障害を持った方についての社会的コストと差別の是非とは別問題、ということとも似ています。

 

●そして相対主義(普遍的価値観)とは

それが、人権、個人の尊厳、自由の尊重、寛容、ということです。 いいかえると、筆者と同じ相対主義、つまり多様な価値観の相互尊重ということです。これも誤解されやすいのですが、ある人の「異性婚が大事」という価値観はそれで尊重、一方「同性婚だっていいじゃないか」という価値観も尊重する、ということです。お互いに重大な迷惑を及ぼさない限り。 なので県議の発言は相対主義ではなく絶対主義だ、という点で批判されるべきなのです。

 

***コメントへのお返事***

 

Judebonさん 泉 史仁さん sugawaraさん 支持となるほどなコメントありがとうございます。

岐阜県議は)<その後の発言でも同性愛は個人の自由とも言っています。>

・・・なるほど、その釈明は受け止めて上げてもいいでしょうね。とはいえ、それは釈明で出てきた言葉であり、ポイントは不見識なヤジです。

 

また「同性愛」と「同性愛者」を分けるというのは、一つの整理としてはありでしょうね。 「同性愛」を政治シーンで語る場合でも、極力ニュートラルに語るべきと思います。そのほうが、共存や合意の可能性が高いからです。

 

<「同性愛は異常」という部分の「異常」は「正常」の対義語として使われているだけであって、排除の意図があるものとは私には読み取れません。>

・・・受け止め方は人さまざまでしょうね。本件は、既にコメント済みですが、科学界ではない、政治家の政治シーンでの発言については、「排除の意図」を読み取るべきものと私は考えます。

 

<「確かにLGBT少子化の主要因ではないでしょう。ただし一定の関係はあるかもしれません。そしてもしも少子化の結構大きな要因だったとしたらどうでしょう。」 思わせぶりはよくありません。もう少し具体的にお話しされては如何でしょうか?>

・・・誤解を招く表現をしてしまったようです。 みなさんのご見解のとおり、私もLGBT少子化の重要要因とは考えておりません。むしろ将来のあるべき多様な価値観を包摂する社会、ライフスタイル、ファミリースタイルの共存する社会は、その社会なりの豊かで多様な子供の育み方があると考えております。「伝統的な家族」が好きな人はそれを選べばいいのはもちろんのこと。

 

私の主張は「LGBT少子化の因果関係の有無は、LGBTという事象や人たちを社会的制度的に排除する理由になるべきではない」ということだけなのです。 これは差別論とも重なる話しです。

しばしば誤解されるところですが「『合理的科学的統計的な差別』は生じえる。しかし、それを根拠に当該差別を直ちに正当化できるものではない」ということです。