むのきらんBlog

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自由に考えよう

スキーバス事故は規制緩和のせいだが、規制緩和は止めるべきか。

こういう事故への反応は、大人度が測れる。

大人度とは、マスコミの報道に情緒的に反応しない、ということだ。

その真逆が、この人たち。大変申し訳ないが、「本人たちが子供」なのか、「大衆を子供扱いして世論を操ろう」としているのか。「14名もの大事故」で大騒ぎできる感性 は、真のリスクへの理性を欠いている。

 

 

 

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自家用車とバスのどちらが安全か

自家用車とバスを比べると、圧倒的に自家用車の事故率が高い。バスのほうがはるかに安全なのだ。なので、スキーに行く場合、マイカーや他人の車に乗せていってもらうより、ツアーバスのほうが安全だ。

長野県は危ない県だ、という主張に至っては、我田引水も極致である。長野県でのツアーバスの重大事故は30年振りなのだ。

全ての死は痛ましい。だからこそ、個々の死だけを特別視せず、全体を俯瞰する視点が重要だ。真に重要なことを重視することで、真に安全な社会は実現できる。

 

事故は規制緩和のせいか

規制緩和のせいで事故が起きた、という主張がある。

それは一理ある。

事故には、直接の要因と、遠因がある。これはテロや犯罪も同じだ。

 

今回は、規制が緩かったのではない。最低料金を下回る安値受注など、いくつもの法令違反を起こした事案なのだ。

 

ただし、「規制緩和が遠因だ」に一理あるのは、このような中小企業の参入を許したという点だ。

規制には、参入規制などの事前規制と事後規制がある。事前規制の典型は免許制などによる参入規制だ。事後規制とは、事後の監督やチェック、問題を起こした際の懲罰などだ。

中小企業のバス事業を禁止していたら、今回の事故は起きなかったのもしれないのだ。

 

参入規制は危険


規制緩和の真逆が、参入規制だ。タクシー、旅館などなど、あらゆるところに参入規制はある。それは活力を損なうためのもっとも手っ取り早い方法だ。それこそが、消費者の利益を損なうものだ。若者の敵、と言ってもいい。

固定的な業界が形成され、業界メンバーのための政治、行政が行われる。

規制の本来の趣旨とは異なることになる。

ちょっと、法律を見てみよう。

 

道路運送法

第一条  この法律は、貨物自動車運送事業法 (平成元年法律第八十三号)と相まつて、道路運送事業の運営を適正かつ合理的なものとし、並びに道路運送の分野における利用者の需要の多様化及び高度化に的確に対応したサービスの円滑かつ確実な提供を促進することにより、輸送の安全を確保し、道路運送の利用者の利益の保護及びその利便の増進を図るとともに、道路運送の総合的な発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とする。

旅館業法

第一条  この法律は、旅館業の業務の適正な運営を確保すること等により、旅館業の健全な発達を図るとともに、旅館業の分野における利用者の需要の高度化及び多様化に対応したサービスの提供を促進し、もつて公衆衛生及び国民生活の向上に寄与することを目的とする。

(太字筆者)

 

太字にした本来の法規制の目的が見失われ、「既存業界益」のために参入規制が使われるようになることは、広く観察される。そうなるのは当然の力学なのだ。

 

ものごとには、必ずリスクとリターンがある。参入規制だらけの社会は、決して成長しない。成長しない社会は、衰退する。

 

なお、成長なき「定常社会」でいいじゃないか、という発想はあるが、それはまた別の議論。進歩がないことをよしとする社会だ。いわば江戸時代のように。(江戸時代も諸相があるが)

そしてそれは、「格差」を固定化する社会である。

 

シートベルトがもう一つのポイント。

バスが高速道路を走行する際には、シートベルトの着用が義務付けられている。それが全く不徹底だったのだ。

これは、バスと乗客両方に責任がある。法的には、運転者が乗客に着用させなければならない。着用しない乗客を乗せたまま、走らせてはいけない。

 

しかし、少なくとも運転免許を持っている人は、これを知っているはずだ。それを守らないのは、死んでもいいと申告しているようなものだ。今回の死者が全員、免許を持っていないとは思えない。厳しいようだが、彼らは運転免許を持つ資格のない学生だったと言わざるを得ない。

 

自動車事故の死者を手っ取り早く減らそうと思ったら、シートベルトの着用徹底を計ることが早道なのだ。