米国共和党の大統領候補選びの首位を走っているトランプ氏の、イスラム教徒を入国禁止にすべきなどの、排外的発言が批判を呼んでいる。
アカデミー賞が選ぶ方も選ばれる方も白人ばっかり、という批判もある。
これらを読むと、アメリカ人も人種差別や偏見がまだまだあるな、レベルが低いな、と思う人が多いであろう。
ドイツの移民や難民をめぐる問題も、世界の注目を集めている。
トランプ氏に限らず、欧米では、極右の排外主義的で過激な主張が一定の支持を集めている。これらのことで、米国やドイツを上から目線であれこれ言うのは楽しい。
しかし、翻って日本はどうか。
ラーメンなど、世界に誇る(?)文化的柔軟性、受容性、変換性を誇る日本なのに、こと移民や難民については、極めて排他的、事実上の門前払いだ。
移民や難民を受け入れる場合、当然に各種の摩擦は発生する。一方で、メリットもあるのだ。各種の実証研究では、効果的に受け入れた場合、経済的にもプラスであることが証明されている。
そしてそれは、単に数的な労働力としての意味ではない。それよりむしろ、質的多様性が、大きな価値を生む。日本を含む先進国にとって、数的労働力よりもはるかに重要なのは、一人当りの付加価値である。数的労働力、言い換えると労働時間で、世界と勝負すべきではないのだ。
多様性をシャットアウトする国には未来はない。
日本は、移民や難民を何人、どのように受け入れるか、という議論を真剣に行うべきだ。 それは道義的にも、戦略的にも、内政外交両面にも重要だ。