前回、豪雨災害の被災者支援に使ってと宝くじを市役所に寄付した女性について、「宝くじを寄付するより、現金を寄付するほうがよかった」、と書いた。
宝くじを買うこと自体は、どういう意味があるのだろうか。
宝くじは確実に損するギャンブル
もちろん、単純に経済合理性で言えば、宝くじは「統計的には確実に損するギャンブル」、つまりマイナスサムのばくちである。
なにせ、発行経費と「胴元」たる地方自治体の取り分が、全体の55%である。つまり、100円のクジを買うと、平均的リターンは、45円なのだ。
宝くじを買うのは非合理か
では、宝くじを買うことは非合理的でナンセンスか。
そこに統計や確率、そして人間心理の面白さがあるのだ。
10人で1万円づつ、計10万円を出してクジを引き合って、当った一人に4万5千円を配る、という賭け事があったら、あなたは乗るだろうか。
普通は乗る人はいない。
では、2万人で1万円づつ出して、当った人に1億円、というクジならどうか。
買ってみよう、という人がいるだろう。ひょっとしたら当るかもしれないからだ。
当然、確率は、2万分の1だ。10人で1万円だと10分の1なので、当るかもしれないが、2万分の1というのは「ほぼ当らない」ということだ。しかし、絶対当らないとは言い切れない。人口2万人の小さな街であったら、その中のだれかが当るからだ。
脳みそのいたずら
人は、10分の1くらいまでの確率は計算できる。100分の1もなんとか想像できる。
しかし、千分の1以上になってしまうと「どれも一緒」と思ってしまう。
2万分の1だろうか、200万分の1だろうが「ひょっとして」と思う程度はほぼ一緒だ。小さな街の内の1人と、人口190万人の札幌市のうちの1人の違い、というのが、人の脳には処理できないからだ。
100円の宝くじを買って、1億円が当る確率は、およそ200万分の1だ。(実際には、もっと低額の賞金にも分散されるので、1億円の確率はもっと低くなる。)
だから、100円の宝くじを買って、当るかも、という夢を買うわけだ。宝くじは「ワクワク度を買う遊び」であるが、2万分の1でも200万分の1でも、ワクワク度もだいたい一緒だ。100円のクジから55円も抜き取られることがわかっていても、宝くじを買う人が沢山いるのも、同じ理由だ。これが宝くじのしくみだ。
あなたには1億円はたぶん当らないが、誰かは必ず当る。投資ではなく娯楽として宝くじを買うことは、合理的なのだ。
ところで、札幌市民が宝くじの当選確率を10倍に高めようとしたら、簡単な方法がある。そう、10枚買えばいいわけだ。面白いことに、ほぼ当らないにしても、自分のほうの決断次第で当選確率が10倍に上がる、と思うと、人はそれを実行する傾向がある。これも脳の働きだ。「自信過剰バイアス」といわれるものの一種だ。
自分だけは太らないもん! っていうのも自信過剰?
宝くじは究極の逆再配分
さて、宝くじの構造を改めて見てみると、これは「広くお金を集めて、少数の人に渡すしくみ」である。
丁度この逆なのが、「金持ちからお金をドーンと取って、多数の人にばらまくしくみ」である。一般に「再配分」と言われ、格差反対論者が主張するのがこれだ。
こうしてみると、つまり「宝くじは究極の逆再分配」なのだ。格差問題を問題視し、再分配を強化せよ、と主張する方は、宝くじを買わないほうがいいでしょうね。「逆再分配」にお金を投じることになるので。
再配分には2種類
なお、「再配分」にはもう一つの方法がある。「多数からお金を集めて、恵まれない少数に渡す」ことだ。
前者の再配分を全否定しないが、日本の場合はどちらかといえば、後者の再配分のほうが必要だろう。
「格差反対」「再配分」を考える際、どちらのスタイルを主張するのか。そして自分は差引き負担する側か、配分される側か、を考えることが重要だ。当然ながら、ほとんどの人が、「自分は配分される側だ」と考えていたら、金持ちから所得の9割を取るくらいの、ものすごい累進課税か、もしくは今、日本でやっているように、お札を刷ってばらまくしかないからだ。
なお、私は恣意的な再配分よりも「ベーシックインカム」という形で、「多数からお金を集めて、全員に一定額を配分する」しくみが基本的には適切だとは考えるが、これはまた別の話し。
2017.4.3 画像を入れたりしました。