シリアでは1千万人が難民になっている。えらいことだが、それをどう考えるべきだろうか。
世界には主権国家が200近くある(日本政府によれば196か国)。それぞれどれかに生まれつくと、そこの国籍がもらえる。その国家がまずまずの運営をすれば、まあ一生そこそこ安定してその国で死ぬことができる。
これって、会社の構造と似てませんか。
- 難民と非正規社員は同じ
- 人権と国家、どちらが重いのか
- 「公平で差異あるルール」が必要だ
- CO2の排出権売買を難民問題にも当てはめろ
- 発生源から絶たないといけない
- これは理想論か、もちろん理想論だ(キリッ)
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難民と非正規社員は同じ
新卒で正社員として入社できれば、その会社がまずまずの経営ならば、そこそこの退職金と企業年金をもらって、まずまずの一生を送れる。ってことと。
(ちかごろは、そうでもなくなってきた、と言われていますが、それは次のところで。)
ところが、その国が不幸にして、失敗すると、どうなるか。難民となる。丁度、会社が倒産したようなもの。ナントカ大学出のエリートでござい、と言ってみても、難民(失業)になったとたん、他社(他国)は冷たいものだ。大体が守衛に追い返される。
やっとこさ、どこかの会社に潜り込めたとしても、「非正規社員」扱い。なかなか永住権ももらえないし、いつ追い出されるか、不安定な暮らしが続く。
非正規社員がこのようにツライのは、正規社員が身分保証をされていることが一員だ。難民の場合も同じ。国籍のある正規国民が優遇され、その分、難民は辛いのだ。
どちらも同じ人類なのに、ちょっとした運命のいたずらで、大きな「格差」に翻弄されるのだ。
現在難民を輩出させているのは、いうまでもなくシリアだ。2千万の国民の半数、1千万人が難民や国内避難民になっている。しかし、シリアはこの間まで、圧政はあったが、安定した内政で、経済も成長し、大学進学率も31%と、ちょっと前の日本より高かった。その人たちが、今や難民として流浪しているのだ。
(なお、「非正規社員」をことさらに悲惨に表現していますが、現実は様々。ここでは身分保障(雇用保障)の有無という点で、難民との類似構造を指摘しています。誤解ないように。)
では、どうあるべきか。
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人権と国家、どちらが重いのか
その問いには、まず次の問いに答える必要がある。「人権」と「国籍」、そのどちらが重いだろうか。
この問いは、いわば日本人であることと、A社の正社員であることの重みの違い、という問いとも似ている。「人権が基本、国籍はある種便宜上のもの」と私は考える。
そうであれば、国籍による保護の軽重よりも人権を尊重すべき、ということになる。
いわば、人権は世界の最低必要条件、国による待遇の違いは、プラスアルファであるべきだ。それをどのように実現すべきか。
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「公平で差異あるルール」が必要だ
公平なルールで分担し、支え合うべきだ。
公平なルールとは何か。たとえば、人口、国土、一人当りGDPなどの客観的指標で加重平均し、各国の受け入れるべき人数を決める。加重平均なので、ある一定条件以下の貧乏な国は受け入れなくていい。各国は、人で受け入れるのが基本だが、もしも諸般の事情でそれがままならなければ、その分の受け入れ義務を、他国の受け入れ権と売買する。
これって、何かの仕組みと似てないだろうか。そう。
二酸化炭素(CO2)の排出権売買だ。
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CO2の排出権売買を難民問題にも当てはめろ
地球温暖化(気候変動問題)も、あいつのせいだ、こいつのせいだ、あいつが減らせ、いやそいつだ、と言っている内に、どんどん悪化していく。昨年パリでのCOP21(第21回締結国会議)で、ほぼ全世界の国で「共通だが差異のある責任」のもと各国が協力してCO2削減に取り組んでいくことになった。
その有力な仕組みが排出権売買(排出権取引)だ。CO2を減らすか、減らせない国はもっと減らす国から排出権を買う、という仕組みだ。
ここで重要なのは、公平な世界的ルール、ということ。
ドイツのメルケル首相がEU各国に呼びかけたいのは、本質的にはこういうことだ。つまりみんなで公平に分担しよう、ということ。政治的には困難だが、その発想は、人類としてのあるべき方向を向いている、と私は考える。
もし仮に、私たちが難民の状態になったとしたら、このような理念を強く支持するはずだ。幸いにして、私たちが難民になる可能性は高くない。だからといって、このような理念を支持しないとすると、それは人としてどうよ、ということではないだろうか。
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発生源から絶たないといけない
もちろん、難民問題もCO2と別の面でも似ている。それは、難民が発生する仕組みを止めることが不可欠、ということだ。これも同じく、シリアの問題は、一義的にはシリアの責務だが、広くは世界の責務、ととらえるべきだ。
なにせ、既に20万人以上が内戦などで命を落としている。昨年、不幸にして亡くなった後藤氏一人で大騒ぎしている場合ではない。
内戦を止めることもまた人権の問題なのだ。国連の安保理決議により、国連軍を組織するなどして、介入してでも虐殺や人権抑圧を止めるべきだ。現実的には、地上戦はアラブ諸国(アラブ連盟諸国)が介入すべきことなのだが。
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これは理想論か、もちろん理想論だ(キリッ)
これはもちろん理想論だ。だが、問題解決の基本は、「あるべき姿」をまず設定することだ。そして現状を直視すること。あるべき姿と現状の二つの間が「解決すべき問題」である。
そのプロセスを踏まないとどうなるか。
何が正しくて、なにが間違いかがわからなくなるのだ。現実に様々にある問題を、整理して認識できなくなる。そして、狭い枠組みや思い込み、所詮なになになんてこんなもの、という諦めの世界に入っていく。
それらの考えは、世界の逆境にある人たちの助けにならはならない。
もちろん、理想だけ唱えていればいい、と言っているわけではない。拒否権を持つ安保理常任理事国の5大国のせいにして、指をくわえていればいい、ということではないのだ。
理想を持った現実主義(リアリズム)とは、そういうことではないだろうか。
なお、以下のエントリーも傾聴に値する意見だと思う。