あなたは、夢で文字を見ることがあるだろうか。
普通は、めったにないだろう。大体、夢は映像やイメージで見るものだ。
考えてみると、これはとても不思議なことだ。日常生活のかなりの時間を、文字を読んだり、文字を書いたりしている人が多い。事務系の仕事の大部分がそれだ。事務系でなくても、メールやメッセ-ジの受発信、記事を読んだり、時にブログを書いたり、という「文字系」の時間は起きている時間のかなりの割合を占めているだろう。
しかし、夢では、圧倒的に映像やイメージが主体だ。
(目次)
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夢には意味があるのか。
「夢判断」や「正夢」「吉兆」「悪夢」など、夢に意味を持たせる考えがある。学術的には、フロイトやユングなどが有名だ。
しかし、最近の研究では、これらは余り意味がないことが定説になりつつある。
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夢のしくみ
あるイメージがランダムに読み出され、それと関係があったりなかったりする「お話」を、脳が形成する。そうすると、そのお話と関連するイメージが生成される。もしくは、ランダムにイメージが呼び出され、それをお話としてつないでいく、ということだそうだ。
脳には、意味化、物語化する機能が備わっている、ということだ。
天井のシミが、顔に見えることがある。「心霊写真」「心霊現象」の多くは、このメカニズムだ。
モノそのものを受け取ることをいやがり、意味として受け止める、それが、脳の仕組みだ。
したがって、学者は、夢のストーリーには余り意味を持たせないほうがいい、と主張している。ただし、同じ夢を何度も観たりしたら、要注意だそうだ。また、夢には体や脳への刺激が反映するので、疲れたりストレスが多かったりすると、ツライ夢を見やすいといことはあるようだ。一番典型は、膀胱に小水がたまっていくと、夢でおしっこする夢を見る、というようなこと。(ストレートですみません。)
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脳は「物語化」が大好き
記憶術で、物語化すると良く覚えられる、というのはこういう脳のメカニズムの応用だ。犬の散歩と預金通帳の記帳をしよう、ということを覚える際には、「犬を連れて銀行にいく」というイメージで覚えると忘れにくい、ということだ。
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語り部は歴史を物語化する
文字が発明される前、歴史は専門の「語り部」(かたりべ)によって記録されていた。語り部は、長い歴史を記憶する際に、物語化して記憶する。つじつまが合わないこと、物語化しにくいことは、いつしかはしょられていく。価値観に沿った出来事は、より強調されて、決定的な事件として価値観に沿って脚色され、記憶される。
もちろん、文字が生まれた後も、後世の価値観によって、過去が物語として歴史化されるのだ。
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記憶と事実は別もの
ところで、ある「鮮明な記憶」は、本当に起こった事実だろうか。
デジャブ(既視感)というのがある。初めて訪ねた街なのに、ここには前に来たことがある、というようなことだ。
私は、UFO(空飛ぶ円盤)を見たことがある。中学生の時だ。その時のことを、鮮明に覚えている。時、場所、UFOの飛び方、なども具体的に話す事ができる。
では、私はUFOを本当に見たのだろうか。今となってはそれはわからない。その時に、日記にでもつけておけば、少なくとも、その時に「見たように思った」ことは、記録しておける。しかし、この記憶が、事実か、そしていつけ形成された記憶か、わからないのだ。
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超自然現象は脳内現象
「肉親が亡くなって1か月後の命日、突然、柱時計が鳴りだした。それは亡くなった時刻と同時刻だった。」というような話しを聞いたことがある。
超自然現象は、神が存在しないことと同様に反証不能なので、完全に否定することはできない。しかし、これもこの方の脳の中での出来事の可能性が高い。本人にとってはリアルな事実なのだ。
こういう脳内現象があるので、裁判の証人が「私は絶対見た」と言っても、それは「絶対見たと今記憶している」ことに過ぎないのだ。まして戦後70年も経つと、70年前の出来事を「昨日のことのように鮮明に記憶している」としても、そこにはかなりの選択と修正が入っていると考えることのほうが合理的だ。
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脳は「イメージ優先の物語化装置」
ヒトの脳は、文字が生まれる前に形成された。だから「イメージ優先の物語化装置」というハードウェアである、ということだ。脳は素晴らしい器官だが、その特性を理解して付き合いたい。
人間の「素直で素朴な感覚」は、脳の回路が生み出した特殊な物語なのだ。