むのきらんBlog

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真の高級車とは ~レクサスは惜しい~

甘利事務所の口利き問題で「レクサスを高級車」と民主党が呼んだ。それにコメントしたら「レクサスなんぞ高級車ではない」というコメントをいただいた。

「甘利氏秘書が補償交渉の成功報酬に高級車ねだる」追及チームが録音資料を公表(民主党) - 注目の記事

 

確かに、レクサスは超高級車ではない。しかし、外部との遮断性はかなり高い。ごちゃごちゃした街の中で、車内だけが独立した静かで心地良い空間を形成する。そういうのが高級車ということなのかな、と思う。

 

ところで、真の高級車とはなんだろうか。

 

私は次の2つの条件を満たした車だと思う。

1.安全、快適であること。

2.他人に迷惑をかけず、謙虚であること。

 この2点目が特に大事だ。それが、品格、ということではないだろうか。ノブリスオブリージュ(高貴なる義務)という言葉を引くまでもなく、品格とは、そういうことではないだろうか。

 

1については、現在の「高級車」たちはそれなりに実現している。

一方、2はどうだろうか。そもそも図体がでかい車は、それだけで迷惑だ。すれ違いも大変だ。資源も余分に使うし、CO2も多量に排出する。

 

しかし、その上で、デザインが「謙虚」とはほど遠い。「そこのけそこのけ、オレ様が通る」という、攻撃的なフェイスがほとんどだ。せめてデザインぐらい、「図体が大きくてすみませんね。小さく見えるように工夫してます。お邪魔して申し訳ない」という風にはならないだろうか。

 

つまり、現在の「高級車」の多くは、決定的に品格に欠けている。

1のみを追求し、2は真逆になっている。

それでも、「歩行者頭部保護基準」の一環として各社が導入しつつある。歩行車をはねた際に、ボンネットが持ち上がったりして衝突のショックを軽減する装置などは、2の要素とは言える。

 

願わくば、全ての車が上記の両方を満たすような「品格ある高級車」になったら、そういう社会こそが「豊かな社会」と言えるのではないだろうか。

私はそういう「高級車」というより「高品格車」に乗りたい、と思う。