真田家の当主、真田昌幸が戦国の世で智謀の限りを尽くして、全てを読み切っちゃう。真意は息子にさえ語らず、驚きの展開、というスリリングな回。
だが、それが本当に戦国の世の話しか、というと別問題だろう。
(目次)
- 真田昌幸の怖ろしいまでの先読み
- 「全てを読み切っていた」という真田昌幸は本当か
- 単線シナリオと複線シナリオ
- 単線シナリオは注文相撲
- 単線シナリオに陥りやすい理由
- 中国共産党の弱者の戦略
- 相手の動きを断定しない複線シナリオ
- ミッションとビジョンという羅針盤
(以下ネタバレあり)
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真田昌幸の怖ろしいまでの先読み
真田昌幸が、越後の上杉と関東の北条を手玉にとり、北条を徳川にぶつけて、信濃を空白地帯とし、真田を筆頭に国衆が信濃を治めるようにする。そのために権謀術数の限りを尽くす、という回である。
昌幸の命を受けた弟の真田信尹と次男の信繁(いわゆる真田幸村)が、上杉氏の部将である春日信達を調略。北条氏から春日の領地と城を安堵するという書状を得て、それを春日に渡した直後、真田信尹が春日を暗殺する。春日が北条に寝返ったのを察知したら、春日が斬りかかってきたので反撃して殺したと上杉景勝に報告。
上杉は、国元の反乱鎮圧に兵を引く。北条は、調略したと思っていた春日が殺され、磔になったこと、上杉の別働隊の動きがあること(これは真田のニセ情報)、さらに徳川も侵攻してきていることに動揺して、川中島から兵を引き、徳川に対峙することにした。結果、信濃に侵入者はいなくなった。
この結果に、「父上はどこまで筋書きを書いていたのですか?」と息子達に問われた昌幸は、「全てよ」と威張る。さらに昌幸は「元々、上杉のお膝元で反乱があるとの情報を持っていたので、上杉が攻めて来ないとわかっていた」と明かす。「表裏比興の者」と呼ばれた男、真田昌幸の面目躍如なシーン。本件で次男の信繁(いわゆる真田幸村)に、「父上は怖ろしい」と思われるわけ。信繁は、春日の調略を志願し、信尹に同行したわけだが、調略の上で春日を暗殺という、父昌幸の信尹への密命は全く知らずに、真心込めて調略に励んでいたので、父に本心を明かされなかったことでも、凹んだのだろう。
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「全てを読み切っていた」という真田昌幸は本当か
さて、ここからが本題。(物語と歴史は別ものですが、今回は混ぜて語るのを許してくださいね。)
この「全てを読み切っていた」という昌幸のセリフは、真実でしょうか?
よく考えると、そんなはずはない。そもそも春日が調略に応じるかどうか、これも未確定だった。また春日の本領安堵の書状を北条が書くかどうかもわからない。
春日を調略、それを土産に北条に認められ、信濃国衆の筆頭となる、 といった辺りがメインのシナリオ。調略が北条にバレそうになったので、春日を謀殺して手仕舞った、という辺りが現実だろう。
相手がある話なので、はじめから全てを読み切ることなんて、できるわけがない。初めからこうするつもりだった 、というわけではない。
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単線シナリオと複線シナリオ
「こうする」「こうなる」ではない。「こうなれば良いが、こうならないかもしれない」という柔軟な発想こそが大切。この発想を、「複線シナリオによる戦略」と呼ぶことができる。
ところが、大河ドラマでは、「単線シナリオによる戦略」なのだ。物語は、後世に書かれるので、えてして結果から遡って、智謀に優れた武将(この場合は真田昌幸)が「全ての筋書きを書いていた」ように書かれる。時間軸で進行するテレビドラマなどでは、一筋のシナリオしか描くことができない。これはあくまで脚本家がお茶の間向きに書いたお話なのだ。
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単線シナリオは注文相撲
しかし、この「単線シナリオ」発想は、「注文相撲」の危険がある。「注文相撲」とは、「相手がこうくるから、この技で勝つ」という考え方。しかし当然に、相手はこちらの注文通りの取り口で来るとは限らない。相手もまた、勝つために必死に読んで、時に迷い、取り口を決めてくるわけだ。
翻ってみると、日本軍も「単線シナリオ」だったのかもしれない。相手はこうくるだろう、だからここに網を張って、一気に叩く、みたいな。
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単線シナリオに陥りやすい理由
もちろん、旧日本軍のそれにはやむを得ない面もある。米国に比べ、戦力や国力に劣る日本は、複数のシナリオを用意して、あちこちに網を張るようなことは、物理的に不可能だったのだ。そうすることは必然的に戦力の分散を招く。弱者の戦略は、一点集中、一点突破の読み切り、一発主義にならざるを得ない面がある。特に劣勢になればなるほど、戦局を一気に挽回する大決戦を構想パターンにはまっていきがちだ。
賭け事で負けが込めば込むほど、ドカンと賭けて大逆転を狙う、という性癖と同じだ。
そこには、歴史上の物語を、歴史的事実と混同した捉え方があったのではないだろうか。今日でも、年配の経営者の愛読書は歴史小説であることが多い。それとも似たメンタリティーではなかったか。
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中国共産党の弱者の戦略
とはいえ、同時期に日本軍以上の弱者であった、中国共産党の「弱者の戦略」は全く別だった。決戦という「バクチ」を極力避け、逃げ回り、ひたすら相手の弱点を突くというゲリラ戦術で機をうかがい、最終的には日本の敗戦後、国民党を追い出して中国大陸の勝利者となったのだ。
したがって、決戦で負けたら後がない弱者こそ、単線シナリオの誘惑に注意する必要がある。
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相手の動きを断定しない複線シナリオ
つまり、相手がある話は、注文相撲は禁物。常にシナリオ通りにならなかった場合の逃げ道や次善の策となる「Bプラン」を用意しておくことが不可欠だ。そして、相手の動きや状況に応じた対応をしていく。ただしそれは、相手に振り回される、つまり、主導権を相手に奪われることと紙一重だ。
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ミッションとビジョンという羅針盤
だからこそ、自分たちの使命である、ミッションと大きな絵(ビジョン)を持って置くことが重要なのだ。
最終的に行きたい所が決まっていれば、時に回り道でも、そこに向かっていくことができる。
真田昌幸のミッションは「真田の生き残り」、ビジョンは「信濃の大名になること」だったのかもしれない。ただし、そのビジョンは必ず実現するということではなく、大名の陪臣に甘んじることもまた状況によっては甘受する、ということであったのではないだろうか。
戦国時代を考える面白さは、そこにある。彼らは超人でもなんでもない、我々と同じ普通の人たちだ。そういう彼らの状況を想像することこそ、意味がある。