むのきらんBlog

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家康軍はばかじゃない~真田丸13回「決戦」のだめだめさ~

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大河ドラマ「真田丸」第13回「決戦」は残念だった。

以下、若干のネタバレありの批評。

 

  

  • 7千人の激突を表現できない貧しい演出

真田に攻め寄せた7000人の家康軍の内、1200人が戦死。真田方は50人の戦死で済んだ、というお話が、あまりに矮小化されていて、興ざめした。

せっかく、碁石というギミックを用意しているのに、現場の小細工の数々を、現代の演出家のこざかしい想像力で駆使しているだけ。

家康軍は、バカではない。戦場は騙し合いであることを熟知している。あんな小細工に嵌まるはずはない。策が当った爽快さもなにもない。

 

最初に、「高砂」を謡って挑発したことは史実らしいが、その後の馬鹿騒ぎが、あれでは「策」であることが明白。「策」は「策に見せない」からこそ有効なのだ。詐欺師は詐欺師に見えないから、詐欺が成立するようなものだ。

視聴者のレベルに合わせた大河ドラマ、といえばそうなのかもしれないが、これでは日本人がますますバカになる。

予算の都合はもちろんある。しかし本質はそうではない。決戦の全体像を、CGではなく、碁石と語りで表現すれば十分なのだ。

 

  • 戦国時代の人たちは愚かではない。

彼らなりに、彼らの時代の状況にせいいっぱいマッチさせて、生存と繁栄を賭けて戦っているのだ。7000人の家康軍はもちろん驕りはありうる。しかし、歴戦の武士は、あのような罠にはまるはずはない。なにせ、真田が曲者であることは、周知の事実であり、劣勢の真田が正攻法でくるわけない、策を弄するしかないことも明らかだからだ。

むしろ、大部隊での攻勢は、柔軟な機動が難しい。今なら通信方法があるが、当時は連絡が困難だ。だから、攻め寄せる勢いのまま、上田城の二ノ丸に突入してしまった、ということがポイントだ。

戦いは両軍とも必死だ。そして両軍の兵士は、それぞれ一人一人の生き残りや栄達を賭けて参加している。戦争を描くなら、その中にこそドラマがあるはずだ。

 

  • 「うめ」を殺した制作者の逃げ腰。

今回で「うめ」が退場したが、「うめ」のスケジュール上の都合もあるだろうが、「きり」と二人とも側室になる事態を避けたのだろう。それは制作者の逃げだ。せっかく、現代人としての「きり」と「信繁」を描いているのであれば、「うめ」と「きり」と「信繁」の3人の「家族の姿」も見せてほしい。大河ドラマのタブーであった、側室。それに挑戦してこそ、創作者のチャレンジである。