むのきらんBlog

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アメリカの殺人は減っている~フロリダ乱射事件と銃規制論~

フロリダで乱射事件があり、50人が亡くなりました。

これで、移民排斥と銃規制がクローズアップされるでしょう。

日本でも、「アメリカの殺人は増えている。だから銃規制はすべきだ。それができないアメリカは異常である。」というのが一般的な認識でしょう。

はたしてその認識は正しいのでしょうか?

(目次)

 

blogos.com

 

  • アメリカの殺人は増えているか

驚いたことに、殺人は減っています。2014年は、FBIの統計が示す中で史上最低の殺人数。しかもこの間、米国の人口は増えていますので、人口当たりの殺人件数は、ピークの1980年の10.2人から2014年の4.5人に半減してます。

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グラフは筆者作成。データ出所は、FBI — Table 1。1995年以前はアメリカ合衆国の犯罪と治安 - Wikipedia。 2001年の数字は、911同時多発テロ事件の被害者を含まない。2015年は発表されていない。

 

  • 大量殺人は1%

殺人全体に占める大量殺人(同時に4人以上が死亡)の比率は1%程度とのこと。

フロリダで米史上最悪の無差別乱射 根深い銃問題とヘイトクライムの懸念より引用。

フロリダ州立大学で犯罪学を教え、銃犯罪を専門に研究するギャリー・クレック教授に話を聞いた。クレック教授は増加するアメリカ国内の無差別乱射事件について、事件を未然に防ぐ有効な手段が存在しない現状を嘆いた。

「犯罪学者の間では、一度に4人以上が殺害されるケースを大量殺人と呼ぶ。割合で考えた場合、大量殺人はアメリカで年間に発生する殺人事件のわずか1パーセント足らずだ。学校や映画館、職場といった場所で発生する無差別乱射は社会不安を助長するため、何としても防ぎたい犯罪だが、未然に防ぐ方法はほとんどないと言わざる得ない。銃を購入する際に義務付けられている身元調査は強盗のような通常の犯罪者にのみ、高い抑止力があると言えるだろう」

 

つまり、大量殺人は、センセーショナルに報道されますが、殺人のなかの「例外」に過ぎません。いわば、毎日多数起きる交通事故の中で、バスによる大量死亡事故が大きく報道されるのと同じです。

したがって、大量殺人を防止しても、殺人全体を減らすことには余り寄与しない、といえます。

 

  • AR15という銃

今回使われたのは、AR15という半自動小銃です。

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画像はM16自動小銃 - Wikipedia

 

ARとはアサルトライフルの略、軍用のM16自動小銃の民間版です。軍用との違いは、半自動(セミオートマチック)ということ。つまり引き金を引き続けても弾は連射されず、一発一発、引き金を引く必要がある銃です。本当の意味での「乱射」には向いていませんが、一人一人に的を絞って撃つのに向いているのが、この「半自動」です。フルオートだと数秒で弾倉が空になるので、半自動であったほうが、殺傷力は高いかもしれません。(ちなみに、軍用のM16でも、半自動モードは選択できます。)

この半自動小銃は、一旦、連邦法で時限立法として規制されたのですが、期限が切れて失効されたままになっています。

連邦法としては、他に半自動小銃の販売を禁止する10年間の時限立法「アサルト・ウェポン規制法」が1994年に成立したが、2004年に更新されず、失効した。

アメリカ合衆国の銃規制 - Wikipediaより。以下引用部は同じ出典。

 

  • 銃器の規制で殺人は減るのか

ここは、大量殺人と普通の殺人に分ける必要があります。

米国で、実現可能な銃規制は、かつてあった 法です。これが復活すると、大量殺人は減少する可能性があります。今回の事件は起こらなかったというところまではいきませんが、死者は50人から大きく減らすことが可能でしょう。

 

  • 「普通の殺人」はどうか

米国での殺人のほとんどの手段は、銃器、特に短銃(ピストル、拳銃)です。これを本当に規制できれば、殺人は減るでしょう。

しかし、全米で既に2億7千万丁もの銃器が個人で保有されています。つまり平均すれば大人一人に一丁ということ(一人で何丁も持つ人もいれば、所持しない人ももちろんいます)。これを取り上げるのはほぼ不可能です。

それでも、販売や所持を禁止すれば、殺人は減るでしょう。

 

  • 米国人ならどう考えるか

しかし、あなたが米国人ならどう考えるでしょうか。「無法者は銃を保持しつづける。家族を守るためには、自分も銃を持つべきだ。」とは考えませんか?実際には、職業的犯罪者による殺人よりは、家族、友人、知り合いによる殺人がほとんどなのですが。

したがって、銃器の禁止はマクロ的には妥当な政策であっても、ほぼ不可能でしょう。

 

  • 銃は反撃の手段として有効か

銃器所持論者がしばしば引き合いに出すのが、「反撃の手段としての銃器論」です。銃の所持は、無法者から身を守るための手段として不可欠、という考え方。

今回の事件で、象徴的なのは、被害者たちが銃を持っていなかった(らしい)こと。LGBTの集まるナイトクラブですので、全体としてはそういう考えの人が余りいなかったのではないでしょうか。

これが、全米ライフル協会の集会への乱入事件であれば、反撃はなされたかもしれません。ただし、その反撃が有効であるかどうかは微妙です。訓練された警察官ならば適切に犯人を射殺できたかもしれませんが、一般人の場合は、他の人に当たる可能性も高いのですが。

とはいえ、「反撃の手段論」は一理あります。

 

  • 反撃の手段論への反論

ただし、銃は、反撃の手段として使われたものの30倍、殺人に使われている、という事実がありります。銃器が、犯罪者だけのものでないのと同様に、正義の味方だけのものではないからです。

全米ライフル協会は、銃の所持について、自己防衛を理由にあげている。しかし、非営利団体バイオレンス・ポリシー・センター(英語版)によると、2012年のアメリカにおける銃絡みの事件では、正当防衛が259件だったのに対し、殺人は32倍の8342件となっており、個人が保有する銃が自己防衛のために使用されることは滅多にないとする調査結果を発表している

ここに、マクロとミクロ、統計的事実と自分自身の相克があるのです。

 

  • それでも銃器の規制は必要か

それでも銃器の規制は必要です。米国でもそれは問題となっており、だからこそ州によって取り扱いが異なるのです。

現実的なところから実現し、それをじわじわと広めていくしかないでしょう。

鶏と卵どちらが先かみたいに見えますが、治安をよくすることが、銃規制の最大の味方です。治安がよくなれば、自衛としての保有論が弱くなっていく。一方治安が悪ければ、自衛としての保有論が強くなっていく、という関係にあります

 

ちょうど、もしも西部開拓時代にタイムスリップしたら、護身のために銃を持ちたい、と思うのと同じことです。

 

  • 教育と理性

このように銃器を巡る問題には、事実と認識の大きなズレがあります。したがって、銃器所持論者に、いくら統計的事実をつきつけても「それでも自分は身を守るために銃を保持する権利がある」と主張されるのがオチです。

良く知られているように、合衆国憲法の次の条項が引き合いに出されます。

 規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。
— アメリカ合衆国憲法修正第2条

だから、この問題は難しいのです。

本当は「あなたは全米の殺人を減らすよりも、自分の銃の所持の権利のほうを優先するのですね」という問いが重要です。

それでも「YES」という人は多いでしょう。この問いに「NO」と答えるのが教育であり、理性なのですが。

 

冒頭に挙げたありがちな通説「アメリカの殺人は増えている。だから銃規制はすべきだ。それができないアメリカは異常である。」ですが、これらは一つ一つ分けて考える必要がある、ということですね。