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ノルマンディー上陸作戦の誤解~映画とオマハ・ビーチの本当の意味とは~

ノルマンディーといえば、映画「史上最大の作戦」などで有名です。「プライベート・ライアン」でも、オマハ・ビーチでの激戦が、まるでその中にいるみたいに表現されています。

ところが、ここに、激戦地オマハ・ビーチと上陸作戦への「歴史認識」にありがちな誤解があるんです。

私たちの一般的な認識は、2重の意味で映画によって形成されたものなのです。

(目次)

 

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LCVPからオマハ・ビーチに上陸する米第1歩兵師団第16歩兵連隊E中隊
(1944年6月6日、ロバート・F・サージェント撮影)

画像はノルマンディー上陸作戦 - Wikipediaより

 

  • 欧州の戦いは、米国対ドイツの戦いか

欧州での最大の戦いはなに? と聞くと、ノルマンディー上陸作戦を挙げる人が多いだろう。

しかし、そもそも欧州での戦いは、米国対ドイツではない。基本的にはドイツ対ソ連なのだ。ソ連が一番長期間に渡り、ドイツと死闘を繰り広げたのだ。それが証拠に、ソ連の死者は圧倒的。1500万人とも3000万人とも言われている。

もちろん、人命を極力守りながら戦う米軍と、人命を消耗品と見なすソ連の、思想と基本とする経済力の違いはあるが。

東部戦線(独ソ戦)こそ、最大、最長の戦いの場であったのだ。

 

「史上最大の作戦」であるノルマンディー上陸作戦との比較でいえば、投入された兵士は、両軍でノルマンディーが170万人。東部戦線(独ソ戦)では、クルスクの戦いが210万人、バグラチオン作戦も同じく210万人である。戦死・戦傷は、それぞれノルマンディー22万人、クルスク110万人(捕虜含む)、バグラチオン120万人(戦病含む)、である。(いずれもWikipediaによる。人数は、諸説あり、概数。)

 

ところが、私たちは、映画などで、圧倒的に米軍や英軍の戦いを見る。そしてあたかも欧州の戦いは米国対ドイツ、米英対ドイツの戦いが中心、と思い込んでいる。

これと似たような思い込みがノルマンディーにもある。 

 

  • ノルマンディー上陸作戦はなぜ行われたか

ちなみに、ノルマンディー上陸作戦は、ソ連のスターリンの「ソ連だけに戦わせるんじゃなくて西側からも攻めてよ」という強い要請によるもの、といわれている。

そういう面はあるだろう。しかし私は、米国にとってより積極的な理由がある、と考えている。ソ連の要請がなくても行ったのではないだろうか。ドイツを倒すのがソ連だとしたらどうだろう。欧州大陸はソ連のものになってしまうだろう。ドイツは当然のこと、ベネルクス三国、さらにフランスも共産党政権になる可能性がある。

したがって、戦後の世界を考えた場合、欧州の半分を米兵の血で購おう、とルーズベルト大統領たちが考えたとしても不思議ではない。

 

実は、これと逆の現象がアジアでも起きている。米英はソ連の参戦を要請した。その一方で、米国主導の終戦を目指した。

両者ともに、自分たちだけで戦うのは負担が重すぎる。反対側からもつついて、相手の戦力を分散させ戦いやすくしてほしい。その一方で、あらたに作戦したり参戦する側は、相手の思惑とは別に、自らの利益のために参戦するのだ。

 

  • ノルマンディー上陸作戦は激戦ばかりではない

「プライベート・ライアン」その他、ノルマンディー上陸作戦(以下、作戦)を描いた映画は、異口同音に砂浜でのたうち回る米兵を描く。

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Paramount/Photofest/MediaVastJapan

画像はフォトギャラリー - プライベート・ライアン - 作品 - Yahoo!映画より

 

実はこれは、作戦の一部に過ぎない。

上陸した海岸も、5箇所に渡る。ソード、ジュノー、ゴールド、オマハ、ユタの各ビーチである。これらはもちろん現地の地名ではなく、米軍のコードネーム。

そのうちで、2500人から4000人といわれる、最大の死傷者を出したのはご存じオマハ・ビーチ。一方、最小が197人のユタ・ビーチ。ヒトラーの豪語した海浜要塞群「大西洋の壁」は未完成であったのだ。

なお、作戦全体の連合軍側の死傷者(戦死・戦傷)は12万人と言われているので、オマハ・ビーチの死傷者が4千人だとしても、作戦全体の3%に過ぎないことも確認しておきたい。

(ビーチ名と死者数等はノルマンディー上陸作戦 - Wikipediaによる。)

 

  • オマハビーチは犬死にか

オマハビーチの戦闘は、生卵を壁にぶつけるようなものといわれる。徹底した空爆と艦砲射撃でも破壊され尽くさずに残った要塞群からの機関銃掃射が、生身の米兵をなぎ倒すシーンは映画でおなじみだ。

これは想定外か、といえば違う。事前に十分偵察されており、強靱な要塞線が完成した場所としていない場所があることを、連合軍は知っていた。また、海岸の要塞に対して、上陸用舟艇で生身の攻撃をかけることは、米兵の命を消耗することも知られていた。なので、戦史や戦略の本では、情報と戦訓を過小評価した首脳部の過ちであると主張する本もある。

 

本当に連合軍の将軍たちは愚かだったのだろうか。共同作戦につきものの、米英の主導権争いの結果だろうか。

ノルマンディー上陸作戦で流された血の本当の意味はなんだろうか。

 

  • アイゼンハワー将軍の立場で考えてみる

作戦の最高司令官であったアイゼンハワー将軍(アイク)の立場で考えてみる。アイクにとっての優先度はなにか?

言うまでもなく、上陸作戦を成功させ、ソ連の東部戦線に対する西側の「第二戦線」を新設することだ。

上陸作戦では基本的に防衛側が有利である。我々は作戦が成功したことを知っているが、当時のアイクは知らない。失敗するかもしれないのだ。しかしこれは失敗してはならない作戦である。

 

時間は防衛側に味方する。内陸から補充部隊も来るし、攻勢が弱い海岸から強く攻撃されている海岸へ兵力を移すことも可能になる。

一つの海岸に同時に投入できる戦力は限りがある。手元には有り余る兵士がいる。それらを防ぐためにはどうすればいいか。

それは、同時飽和攻撃だ。ドイツ軍が対処不可能な規模で、5つの海岸で同時に攻撃をかけることだ。もちろん多数の犠牲は出る。しかし、それこそが上陸作戦を成功させる鍵である。

 

だから、アイクは鉄の壁を持つオマハ・ビーチにも多数の米兵を投入したのだ。だから、オマハ・ビーチは血の海となった。

極論をいえば、オマハ・ビーチの作戦目的は上陸を成功させることではない。オマハのドイツ軍を釘付けにしておくことが、究極の目的(最低限必要な作戦目的)であるともいえる。

 

  • オマハ・ビーチと沖縄・硫黄島

 大きな目的のために、多数の犠牲を覚悟して作戦を遂行すること。これは、太平洋の戦いにおいて硫黄島や沖縄などで行われたこととも似ている。

日本軍は、硫黄島や沖縄を守り抜けるとは思っていなかった。しかし、本土侵攻を遅らせるために、硫黄島や沖縄などで、多数の人命を犠牲にしたのだ。

 

ともに、大きな目的のための手段として使われた。オマハ・ビーチの血で購われたノルマンディーの成功は、確かに欧州での戦いの終結を早めた。この作戦が成功しなかった場合、最低1年は戦いが伸びただろう。

 

一方、残念ながら硫黄島や沖縄で血を持って稼いだ時間は、日本にとって何の役にも立たなかったが。

 

ノルマンディーの意味を考えることは、映画が伝えない戦争の現実を俯瞰的に理解することでもあるのだ

 

冒頭、「私たちの一般的な認識は、2重の意味で映画によって形成されたもの」と書きました。

一つは、「ノルマンディーは史上最大の作戦」だった、という第二次大戦における欧州戦線全体の認識。もう一つは、「オマハ・ビーチでの死闘がノルマンディー作戦の成否を分ける最大の決定的死闘」という認識である。それは、全くの勘違いではありません。しかし、映画によって作られ、いささか、ゆがめられたものでもあるわけです。

 

私の主張は、流布されている通説とは違います。一方、ある程度戦略や戦史に詳しい方にとっては、常識的な見方かもしれません。そうであるといいのだが、と思っています。

 

  • ノルマンディーは現代政治の舞台

なお、ノルマンディー上陸作戦については、2014年にも70周年記念式典が行われています。そこで、オバマ米大統領が2014年のノルマンディー上陸作戦70周年記念式典で原爆の映像に拍手した、という「通説」が流れていました。私は、それに対して「オバマ原爆拍手論」のエントリーを挙げました。ノルマンディーは、現代政治の舞台でもあるのですね。

オバマ氏は本当に嘘つきの猿芝居か~それは原爆への拍手なのか~ - むのきらんBlog

「オバマ原爆拍手問題」への5つの問い~それは「戦勝国アメリカの視点」なのか~ - むのきらんBlog

 

 

2016.10.1「二重の意味」の説明とオマハ・ビーチの作戦目的について追加しました。

2017.4.2 東部戦線の作戦との比較を追加。文章の配列や表現を見直しました。