むのきらんBlog

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自由に考えよう

科学者が科学を裏切るとき

茂木健一郎は脳科学者だが非科学的。

・国の武器調達と市民の武装は同次元か。

・暴力の手段を誰に持たせるべきか。

ダブルスタンダードの条件。

・隠された前提。

 

 

上のエントリーは科学に対する信頼性を失わせかねない凄い理論。まあ、茂木健一郎氏は脳科学者だそうだが、それでも非科学的思考にハマルという好例。

 

●市民(個人)と、国家や組織は二重基準か

筆者は、市民(個人)と、国家や組織の二重基準、と主張していますが、ならば、警察のみに武器の所持を認めることも二重基準として批判することになります。 それも一つの論理ですが、それならどういう主張になるのか、ということです。 答えは、警察にも認めるべきでない、もしくは警察以外にも認めるべき、ということになります。

 

武器は暴力の手段ですので、より分かりやすくは、暴力行使を国家に独占させることを批判すべきかどうか、という問いになります。筆者は、私的な暴力行使を認めろという主張なのでしょうか。そうするとまさに弱肉強食で暴力がはびこる世界になります。逆に、国家も含めて暴力は絶対に認めるべきでない、という絶対平和主義でしょうか。理念や主張としては結構ですが、その帰結も同じです。どのようにすれば他者にその理念を実行させることができるか、という問いが出るからです。

 

 「二重基準」と言う言葉はダブルスタンダードの翻訳でしょう。それは「正当性のない主張」という意味づけになるでしょうが、ここに印象操作があります。

 

 銃規制も「単なる基準の一つ」と理解すれば、筆者の印象論からは自由に、科学的に思考できるようになるわけです。「拳銃所持の基準はどうあるべきか」という基本的な問いに還元すれば、答えは明らかです。

 

●二重基準(ダブルスタンダード)の条件

二重基準(ダブルスタンダード)が批判されるべきなかどうかは、条件があります。

批判されるべきは、あるケースには理論Aにより主張し、別のケースには理論Bを否定するような場合です。そこに、恣意的、利己的な誘導により、理論Aを使用する場合は、批判されるべきです。 言い換えれば、Bという本当の主張の正当化のために、理論Aを都合良く利用する、というケース。

 

本件は異なります。 筆者が前提としている「銃器を誰にも持たせるべきではない」というのが理論Aだとすれば、絶対平和主義者を除き、誰もそんなことは主張していません。なので、筆者の論法は、ない主張をあるように見せる藁人形論法とも言えます。

 

●隠された前提

したがって、本件が二重基準であるかどうかは、前提とする理論Aの定義によります。筆者の前提は、「絶対平和主義」という、かなり例外的な主張です。それは主張として結構ですが、それならば自分はそうだと主張するのがフェアです。

 

科学ということでいえば、本件は、科学者を自称する筆者もまた、ヒトであるので、「結論ありきで理屈を組み立てる」という、ヒトの脳科学的な認知バイアスの一例を証明しているといことでしょうね。もちろん、私もヒトである限り、そのバイアスの誘惑は常にあるわけですが。