むのきらんBlog

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自由に考えよう

選択制夫婦別姓を認めるべきか

私が皆さんと分かち合いたい原則は、次の通りです。

「個人の価値観は人それぞれ、他人に大きな迷惑がかからない限り、それを尊重しようよ。」 ということ。

 

ガンダムが好きでも、エヴァが好きでも(旧いですね)、いいじゃないですか、他人の迷惑にならなければ。

 

杉田水脈氏をはじめ、夫婦別姓選択制を認めると、「社会が崩壊する」みたいな主張があります。 その論拠は、家族が崩壊する、犯罪を助長する、といった主張です。

 

前者は、ご自身の「結婚観、家族観パッケージ」を、他人に強制しようとしている、という批判を免れません。みんないままでどおりガンダムにしなきゃだめ、みたいなもの。それを選ぶのは個人ではないでしょうか。

そもそも、日本の結婚観、家族観、氏姓名については、文化や制度ともに大きく変遷があり、長年固定化した伝統では全くありません。

 

後者については、寄与度は低いでしょう。本気で偽装結婚などしようとすれば、改姓すればすぐできますので。(これは批判者も認めているわけ)

 

ところで 経済学的にみれば、夫婦別姓選択制反対論は外部不経済が大きい(他人に迷惑)、という主張ということになりますが、現在の夫婦同姓強制状態もまた経済的損失が存在するのです。前者後者とも、どれだけ大きいかの測定は困難ですが。もしも後者が大したことない、たかが「名称変更コスト」に過ぎない、というならば前者も大したことがないでしょう。とすると、やはり最初の話しに戻ります。

 

出生率」という観点でも、結婚や家族形態の多様性を認めているフランスが出生率を回復させていることからも、従来パッケージを強制する論拠としては弱いでしょう。

 

そして最大のポイントは「同姓強制主義者」は、もしも「別姓強制主義」が多数になったら、それを認めるのか、ということです。だからこそ「別姓選択を容認しようよ」ということです。

 

「夫婦は同性であるべき」という「理想」