エントリーも、エントリーが引用している記事も、憲法学者は「安保法制だけ違憲」が多数、という前提で議論を展開している。
しかし、そもそもの前提とする認識がちょっとずれています。 (日本の)「法律家共同体は、安保法案を違憲としている。」という前提は間違いではないが不正確。朝日新聞の憲法学者アンケートでは、多数を占めたのは、「そもそも自衛隊その他の現行法(改正前)がそもそも違憲かつ今回法案も違憲(含む違憲の疑いあり)」ということ。「今回だけ違憲」は、「両方合憲」と同じく少数。
したがって日本の憲法学者の多数決ならば、そもそもとっくのとうにアウトなのです。「学者が今回だけアウトとしている」という認識は誤りです。
なお、もちろん「既に違憲だが、更に改悪することはケシカラン」という主張はありです。しかしそれならそうと、堂々と主張すべきです。それを、憲法学者の多数が「今回だけ違憲な立法」と主張している、ということを論拠に安保法制反対を主張するのは、おかしい、ということ。(そういう言い方がはびこってますし、そう受け止めている人が多いわけです。)
さて、その多数説は国際的なアカデミズム(国際的法律家共同体?)の多数からみてどうか、といえば、ほぼ正解でしょう。しかし、解釈合憲でここまできて、共産党までが一応認めているのが改正前の法体系です。と、いうことは、憲法条文上は70年間近く違憲であることを日本社会は容認してきた。つまり事実上「武力による自衛権」にとっくの昔に改憲されていた、ということです。つまり憲法を書き換えずして、「書いていない但し書」があるわけ。
●安保法制と憲法論議の本質
したがって今争われているのは、アカデミズム対政治(家)、ということではなく、「書いていないけど既にそこにある『但し書』」をどう読むか、「書かれていないけどそこにある『但し書』にさらに追記するか」ということです。そうすると、憲法学というよりは、主に政治学の領域になるわけです。
そしてそれらのことは安保法制反対派のよりどころである「近代立憲主義」とは、余り関係がありません。私は「近代立憲主義」を尊重する意見ですが、既に「目に見えない但し書き」が書かれた以上、「近代立憲主義」云々の領域の手を離れているわけです。
そして、もちろん、「目に見えない但し書き」を止めて、ちゃんと成文化すべき、というほうが「近代立憲主義」には沿っています。ただし私は、現時点での改憲はお勧めしませんが。