コメントが面白いので引用する。(一部強調しました)
日本における「保守」と「リベラル」の定義の間違いについて、一言。
私がいつも感じていることに、日本では「保守とリベラルの定義」が正確になされていないのではないかということがあります。
保守という一般語は革新と対をなすのですが、政治学でいう保守主義と革新とはちょっと意味が違います。保守主義とは伝統や歴史を踏まえ漸進改革をする現実的で穏健な自由主義であり、これはリベラルの中心にいるのです。それに対立する革新派と呼ばれる主義は実は全体主義であり、その中心にいるのが共産主義や社会主義などの純然たる左翼なのです。これが正しい定義です。本来の意味では、つまり保守とはリベラルなのであり、リベラルと勘違いされている左翼は全体主義なのです。これが、世界標準の定義です。
確かに保守やリベラルという定義は、非常にまちまち。混乱の元だ。
上の「保守主義」の定義である「漸進改革穏健自由主義」は、対極が「革命的革新による全体主義」という意味ならば成立する。「漸進的改革による全体主義」もあるが。
なので、上の主張は多くの支持を得ている。
ただし、そうなるとほとんどの人は「保守主義者」になってしまい定義の意味がない。共産党さえ当面自衛隊や議会制民主主義を認める漸進的改革主義だ。ほとんどの人は現体制を認めどの程度の漸進的改革を行うかという議論だ。
全体主義と保守主義は対極かどうかも微妙だ。日本の保守の文脈は複数あり、権威主義も保守を自称している方の志向だ。左派リベラルを全体主義と批判するならば、こちらも批判すべきだ。自民党も批判を免れ得ない。
●ノーラン・チャートが便利
分かりやすいのは4象限のノーランチャートだ。サンデルの白熱教室で有名になり一時流行ったものだ。政治的自由と経済的自由への賛成度で分けるやりかただ。ここでは保守主義は「政治的不自由、経済的自由」と定義され、リベラルは「政治的自由、経済的不自由」と定義される。
出典はこちら
ここでは前述の定義は整理不能だ。「漸進的改革」と「伝統重視」の程度によって、日本の保守は幅があるからだ。
伝統重視を強調するなら、出発点の伝統とはどんなものか、いつのものかを定義せねばならない。「漸進的改革」も主観的だ。たとえば明治維新を肯定する立場は、定義困難だ。明治維新は、明らかに江戸時代の伝統的体制を覆す急進的改革(革命)であったからだ。「漸進的改革」という言葉は、えてして効果の出ない程度に、ちょこっとずつ「改善」することの言い訳にも使われる。
したがって、日本の「保守」や「保守主義」は、客観的定義が不能な主観的「ムード」と言わざるをえない。
なのでノーランチャートの整理のほうが分かりやすい。
客観的に定義でき、比較できるからだ。
たとえば、中国も共産主義、全体主義から「政治不自由、経済自由」の保守主義風味に移行中、という整理もできる。
●チェックリストで診断できる
自分がどこに当るか、というチェックリストもある。これも前に流行ったのだが。
私もやってみた。「左派リベラル」からは「リバタリアン」と時々呼ばれるのだが、意外にも、ほぼ真ん中になってしまった。私は「中道」ということなのかもしれない。
みなさんはどうだろうか。