突然ですが、「天皇陛下は神様ですか人間ですか?」って聞かれたら、なんて答えますか。
「そりゃあ当然、人間でしょう」って答える人がほとんどでしょうね。なかには、「神様です」っていう方もおられるでしょうが。
で、「人間でしょう」と答えた方、「では、何で職業選択の自由が認められていないんですか?」っていう問いにはどう答えますか?
「う~ん。憲法で日本の象徴ということになってるから」。はい、正解です。「憲法で世襲ってことになってるから」。大正解です。
じゃあ、「象徴と神とどう違うんですか?」。「え~と。象徴って英語でいえばシンボルですよね。シンボルってのは、つまりは象徴ってことで。神は英語で言えばゴッドでしょうから、シンボルとゴッドの違いってことじゃないですか。」
これって、答えになってるようでなってないですよね。今回はそこを掘り下げます。
- まずは日本国憲法
- 人間宣言
- 人間宣言は、天皇が神であることを否定したのか
- 天皇は「神」と「人間」のどちらなのか
- 天皇は「神」と「人間」のどちらかではなく、「神でもあり人間でもある」
- そもそも神も人も似たようなもの
- じゃあ生きてる人も神になれるの
- 天皇は神様じゃなくて王様ではないか
- 「天皇制」という言葉
- 天皇と近代憲法の矛盾
天皇陛下が退位の意向を示したことで、いろんな議論が出ています。特に、目立つのはのは、「天皇は存在するだけで天皇なのだ(だから生前に退位するなんてもってのほか)」、という意見。全体としては少数なのですが、政府が招いた「有識者」にはこういう人たちが結構います。一方「公務ができてこその天皇ではないか。(だから、公務が十分にできなくなったら、退位を認めるべきだ)」という意見もあります。
でも、ちょっと待ってください。実はその前に、そもそも天皇とは何なのか。「神様なのか人間なのか」という大問題が日本国民に問われているのでございます。
今日はこれを考えてみましょう。
まずは日本国憲法
日本国憲法より
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
さて、終戦の翌年である1946年1月1日に昭和天皇が出した、有名な「人間宣言」を見てみましょう。
人間宣言
人間宣言 - Wikipediaから、その重要な部分を引用します。(太字筆者)
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
う~ん。どういう意味でしょうね。これは、一般には天皇が現人神であることを否定したと言われていますが、そうじゃない、という意見もあるようです。問題となったのは「且」の意味合い。
人間宣言は、天皇が神であることを否定したのか
「且(かつ)」の意味によって、2つの説があります。
1.神格否定説:「且」は、「また」という意味だから。「現御神ニ非ズ」という解釈。
2.神格肯定説:「且」は、「その上」という意味だから、「日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」という意味であり、「現御神」を否定したものではない、という解釈。
この2つの説に沿って後段を訳してみます。
1.天皇を現人神としたり、その上、日本国民を他の民族に優越する民族であって、世界を支配すべき運命を持つという架空の観念に基づくものでもありません。
2. 天皇を現人神として、その上で、日本国民を他の民族に優越する民族であって、世界を支配すべき運命を持つという架空の観念に基づくものでもありません。
1の訳は、「天皇は現人神ではありません。」そんでもって、「日本人は世界を支配すべき優越民族だという妄想を持つべきではありません。」ということ。
2の訳は、「天皇は現人神だから(その臣民である)日本人は世界を支配すべき優越民族だという妄想」を持つべきではありません。ということ。
これ、どちらとも読めますね。
ちなみに、「かつ」を辞書で引くと次のようになっています。
[副]
1 (「…かつ…」または「かつ…かつ…」の形で)二つの行為や事柄が並行して行われることを表す。一方では。「且つ飲み、且つ歌う」
2 ちょっと。わずかに。
「陸奥 (みちのく) の安積 (あさか) の沼の花がつみ―見る人に恋ひやわたらむ」〈古今・恋四〉
3 そのそばから。すぐに。
「駒の跡 (あと) は―降る雪に埋もれて遅るる人や道まどふらむ」〈千載・冬〉
[接]ある事柄に他の事柄が加わることを表す。そのうえ。それに加えて。「講演はおもしろく且つ有意義だった」
法律用語としては、 次のようになっています。
1,かつ
「かつ」は,併合的連結のために用いられる接続詞です。「併せて」という言葉と同じ意味になります。
「及び」と「並びに」も言葉を併合する接続詞ですが,これらの言葉は,名詞と名詞を結ぶ場合の接続詞です。長男,次男及び三男・・・などです。
しかし,「かつ」は,次のように,動詞と動詞,形容詞と形容詞を結ぶ言葉になっています。条文の例: 民法117条「他人の代理人として契約をした者は、自己の代理権を証明することができず、かつ、本人の追認を得ることができなかったときは、相手方の選択に従い、相手方に対して履行又は損害賠償の責任を負う。
一般の文章の例:美しく,かつ,賢い。
なかなか微妙なところです。 やや1の神格否定説が素直なようにも読めますが、2の神格肯定説(神格否定ではないという説)も否定できないところです。いわゆる「解釈の余地がある」という状態です。なので、これ以上、人間宣言の文言を議論しても、決着がつかない、まさに神学論争になるでしょう。
さて、人間宣言ではいま一つ決着がつかなかったので、そもそもの問いに戻ります。
天皇は「神」と「人間」のどちらなのか
そもそもの問い自体を問い直したらどうでしょう。「神か人間か」つまり「神であって人間ではない」「人間であって神ではない」という2択なのでしょうか。
むしろ「神でもあり人間でもある」ということではないでしょうか。
つまり、
天皇は「神」と「人間」のどちらかではなく、「神でもあり人間でもある」
っていうこと。
で、大事なのは、「神」かどうかは、主観や認識の問題だということ。AさんがBさんのことを「神ってる、いや神そのものだ」と思えば、BさんはAさんにとって神様なのです。それをCさんが「神じゃないじゃん。人間じゃん」っていってもそれはナンセンス。
Aさんが人間であることはいくらでも証明できます。しかし神でないことは、証明できないのです。こういうことを反証不能性、といいます。そういうものを、広義の「宗教」というのです。つまり、科学や客観性の領域ではないもの、という意味です。
そもそも神も人も似たようなもの
神道における神ってのは、本当に沢山あります。その代表的なのは、「祖先神」や「怨霊神」です。祖先神はご先祖様を神として祀るってこと。神道のメジャーな神は、祖先神です(天皇の祖先という位置づけ)。怨霊神は、たとえば菅原道真っていう人の、たたりを畏れて神としてお祀りするっていうもの。
じゃあ生きてる人も神になれるの
チベットなどに生き仏っておられますよね。神様と仏様は別といえば別なんですが、仏様に生き仏があれば、神様に生き神様があっても不思議ではないでしょう。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」っていう日本国憲法の表現は、これはもう、天皇をある種の神様として法的に位置づけますよ、ということです。
ただし、「神様」と近代憲法の条文に書くわけにいかないので、「象徴」っていう言葉を発明したわけですね。
「神様」であるとしないと、天皇が普通の日本人として当然に持っているはずの職業選択の自由といった権利を持たない、持たせないことが説明できません。
「天皇陛下は神様(でも)ある」っていったら、ド右翼って思われちゃうかもしれません。国会で内閣法制局長官に問われたら、間違っても神様であるとは言わないでしょうね。象徴という言葉で貫き通すはずです。しかし、「神様であることにした」という前提がないと、どうしても、本人の自由意志によらない天皇という存在を、説明できないわけです。
ところで、
天皇は神様じゃなくて王様ではないか
っていう見方もあるでしょう。確かに、立憲君主制の国、君主である王が世襲の国がいくつかあります。 それは、過去確立された世俗権力の継承者に、特別な地位を与える、ということです。その国の建国の経緯とも深く関わるわけです。で、現在は、ほとんど「権力」を持たず、「権威」だけを持つ、というケースがあります。
法的位置づけとしては、天皇とそういう王様は近いでしょう。
しかし、それらの国の多くは、本人の意思による退位を認めていますし、即位も本人の意思を前提としています。まがりなりにも職業選択の自由がある。つまり人間が、本人の意思で特別な地位に就く、ということです。(そうでない国もあります。そういう国は日本の天皇と近いといえますね。)
天皇は、それとは微妙に、大きく異なります。だからこそ、「天皇陛下が退位の意向を示された」ということが、このような大騒ぎになるわけです。
「天皇制」という言葉
ちなみに「天皇制」という言葉自体がけしからん。天皇という存在は絶対的にあるのだ、という主張もあります。そういう見方からすれば、天皇とは憲法に規定された存在ではなく、そもそも絶対的にある神様、ということです。
天皇の存在が、仮に憲法に規定されたものだとすれば、改憲によってその地位が変わること、場合によっては消滅することもありうるわけですから。たとえば社会主義の立場からみれば、天皇という特別な存在はありえません。「共産党」という唯一の権威が社会を主導するものですから。だから、「保守」の人は、「天皇制」という言葉そのものを嫌うわけです。
天皇と近代憲法の矛盾
このように考えると、天皇という特別な存在を、自由や民主主義などの普遍的価値に立脚する近代憲法に組み入れることは、本質的な矛盾をはらんでいます。それは、他の立憲君主国、特に、君主の自由意志による即位や退位を認めない国でも同じことですが。
天皇の退位(譲位)を巡る問題は、この矛盾を、今日的な問いとして日本国民につきつけるものなのです。
なお、「神」と「人」の間に、人として神様の通訳や代理をする、祭司、シャーマン、といった位置づけもあります。実は伝統的な天皇はそういう位置づけともいえます。そのあたりは、いろんな専門書を読むことをおすすめします。
ただし、これを突き詰めていくと、結局、今回の「天皇は、神か人かなのか、神であり人でありなのか、問題」に戻ってくることになります。
注:記事は筆者の意見であり、写真のモデルさんの意見ではありません。