むのきらんBlog

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アイデンティティーは国籍では縛られない~カルロス・ゴーンの名言~

「あなたのアイデンティティーは?」、と問われたら、どう答えますか? 日本人、出身の県、出身学校、家族やご先祖様、ひょっとして愛する(?)会社、を取り上げる方もいるかもしれませんね。

 

今日は、アイデンティーにまつわるカルロス・ゴーンさんの名言を取り上げます。 

カルロス・ゴーン​さんは、いわずとしれたルノー、日産、三菱自動車の自動車メーカー3社の会長です。2017年1月の日経新聞の「私の履歴書」に、ゴーンさんが登場しました。今回はそこでの名言をご紹介。

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画像出典:カルロス・ゴーン - Wikipedia

 

  

グローバル化の時代に大切なこととは何か。私は迷わず「アイデンティティーを失わずに多様性を受け入れることだ」と答えるだろう。

 

みなさんも地球が小さくなったことを実感しておられるだろう。インターネットの普及もあり、仕事も生活も自国だけではもう完結しない。では、グローバル化の時代に大切なこととは何か。私は迷わず「アイデンティティーを失わずに多様性を受け入れることだ」と答えるだろう。

 多様性とアイデンティティー。それは私の人生を的確に言い表した言葉でもある。祖父はレバノンからブラジルに渡った移民だ。私はブラジルで生まれたが、幼少期から高校まではレバノンで過ごし、大学はフランスだ。米国でも長く生活した。

 私はブラジル人であることを忘れたことはない。昨年8月、五輪のあったリオデジャネイロに帰った。「リオではゴーンさん、別人ですね」という人もいる。もしかしたら本来の自分に戻れる場所がリオなのかもしれない。だが、レバノンの文化や歴史も大切だ。フランスも重要な国だ。

 最も顕著なのが今だ。私は日本を代表する自動車メーカーで社長を務め、仏ルノーの会長でもある。1人の人間が文化の異なる2つの国の大企業でトップを務めるのは奇跡だ。だが、現実でもある。

2017年1月1日 日本経済新聞「私の履歴書 カルロス・ゴーン(1)機内から」より 

 

ここでは、見事にアイデンティティーと多様性の両立が謳(うた)われています。そうです。アイデンティティーと多様性は、対立するものではなく、両立しうるものなのです。

同じように、グローバリズムとローカリズムもしばしば対立する概念ととらえられがちです。しかし、これもまた両立しうるものです。たとえば、地場の特色ある産物を、ネットを通じて世界中に販売したり、世界から観光客がそれを目指してくる、そういった世界です。

移民・難民や外国人を排斥する人たちがいます。しかし、移民・難民や外国人など、自らと異なる文化を持った人たちと接することでこそ、自らのアイデンティティーや文化の独自性を認識し、再発見する機会なのです。

 

アイデンティティーは国籍では縛られない

 

子供たちも私と同じように、多くの国を見て育ってきたので、似たような視点を持っているだろう。例えば、長男は英語とフランス語を話し、教育は米国、日本、フランスで受けた。レバノンの文化もわかっている。だから、多様性を理解し、アイデンティティーは国籍では縛られないと考えている。彼にとって、どの国の出身であるかはその人がどういう人かということと全く関係がないのだ。

2017年1月29日 日本経済新聞「私の履歴書 カルロス・ゴーン(28)子供たち」より 

 

アイデンティティーを国籍や民族に求める考え方があります。日本の場合は、「日本国籍イコール同一文化を持つ日本民族」というのが当たり前、という見方が結構あります。実は、この見方は当たり前のようでいて当たり前ではありません。歴史的、社会的に、言語や文化をはじめとする同一性が高い(多様性が低い)という面は確かにあります。その一方で、ことさらに、「日本国籍イコール日本民族」という見方を、歴史的かつ主観的に強める傾向があります。

国家を運営する側としてはそういう見方が都合がいいわけです。一方、そういう見方は、受け入れる側にとっては「楽ちん」でもあります。日本人が五輪で活躍したり、ノーベル賞をとったりすれば、自分のことでなくても、我がことのように喜ぶことができるからです。

それは、もちろん、否定するものではありません。いわば、「健全なナショナリズム」といってもいいものです。しかし、「健全なナショナリズム」のすぐ脇に「不健全なナショナリズム」が口を開けて、あなたを取り込もうとしていることを、忘れないほうがいいでしょう。それは、国家の運営者や扇動者にとって、都合がいいのです。

 

ゴーンの言葉をどう受け止めるべきか 

 

ちなみに、同じ「私の履歴書」から名言、文春オンラインでは大山 くまお氏が全く違う言葉をピックアップしています。

blogos.com

大山氏がピックアップしたのはこれ。(太字筆者)

カルロス・ゴーン 日産自動車社長兼CEO(最高経営責任者)
来日から18年、この信じがたいほどすばらしい国からは多くを学び、私は明らかに違う自分になった。日本はもう、私のアイデンティティーの一部だ
日本経済新聞 1月31日

大山氏の見方を引用。

2月23日、日産自動車の社長とCEOを退任することが発表されたカルロス・ゴーン氏。突然の発表に驚いた人も多かったようだが、1月末に掲載された日本経済新聞「私の履歴書」の最終回では、あからさまに退任が示唆されていた。

 同記事の最後は歯が浮くような日本賛辞で締めくくられたが、お笑い芸人の厚切りジェイソンは外国人タレントのデメリットとして「そんなにすごくない日本の文化に対して感動しないといけない場面が多い」(『ボクらの時代』2月19日)と語っていた。ゴーンさんの言葉も真に受けてはいけない。

 

確かに、「外国人も驚嘆。日本すごい。」の本や番組、「日本民族は世界一」みたいな独善的な見方には要注意です。誉め言葉に喜ぶのはいいけど、物事には表裏があります。日本のいい点ばかり見るのは、ゆがんだ見方です。精神衛生上、いいところを見ることは大切ですが、それが勢い余って他国の悪いところばかり批判する態度とつながることは不幸です。

大山氏はその部分に警鐘を鳴らしたのかもしれません。しかし私は、ゴーンさんの言葉を「真に受けた」上で、日本の問題点も「真に受ける」、という両方のスタンスが必要ではないかと思います。

ゴーンさんに日本の問題点を挙げてください、とリクエストしたら、滔滔(とうとう)とまくし立てることは明らかですしね。

 

あなたはゴーンさんの言葉をどう受けとめますか?