自動運転には二つの未来が考えられる。技術的な未来と社会的な未来のそれぞれに。
グーグルのセルフドライビングカー(写真はWikipediaより)
-
技術的な二つの未来
一つは、従来型の自動技術の範囲だ。
もう一つは、「学習する自動運転」だ。
従来型技術の未来
信号機を、カメラで認識するか、それとも電波で認識するか。交通法規をプログラム化して、たとえば、速度標識をカメラで読み取り、それを守って走行する、といった方法。この二つは、すでに技術的に可能であり、たとえば、ボルボの市販車には、速度標識などの道路標識を読み取り、表示する機能が備わっている。
たとえば次のエントリーで想定しているのもそういう技術である。
しかし、この技術には問題がある。それは人間との親和性が弱い、つまり融通が利かない、ということ。周囲が時速110キロで整斉と流れている高速道路で、100キロ制限を律儀に守って渋滞を招く、といった困りごとが発生する。
もう一つの「学習する自動運転」はどうか。
これは、実際の運転者の運転方法を、ビッグデータなどで取得し、状況に応じた判断力をつけるものだ。
すでに、トヨタやホンダなどは、自社の車の情報を収集する方向で進めている。また、運転者のシフトやブレーキの癖を学習してコントロールする学習制御は、すでに熟成した技術として市販車に搭載されている。これが進めば、たとえば、高速道路では周囲の車の流れを読み取り、流れに乗った運行が可能となる。
また、複雑な交差点での自動運転車の身のこなしもスムーズになる。
-
どちらの技術が社会にとって有用か
従来型技術では、自動運転のプログラムは、法規や信号情報をそのまま扱うことになるだろう。事故の際、メーカーが免責されるためには、そうすることが合理的だ。
前者ならば、事故は非常に減るでしょうが、一方、交通の円滑な流れは疎外されることになる。また、応用動作が必要な複雑な局面では、自動運転プログラムはオフになるだろう。つまり、レベル4の完全自動運転の範囲が狭まるわけ。___
「学習する自動運転」はどうか。ビッグデータとディープラーニングによって、多くの運転者が行っている方法を学習させ、自動運転する。たとえば、ゴールドカード運転者の方法論をトレースするようにしたら、どうなるだろうか。
事故は「無事故運転者並み」。事故は皆無とはならない。そして自動運転車だけの環境ならば、前者よりは事故率は高いだろう。それでも現在よりは事故は激減する。
(ちなみに、スバルの自動ブレーキ、アイサイト搭載車では事故は6割減である。)
「学習する自動運転」の場合は、人との混在運行もストレスがなく、全体としてなめらかな運行で渋滞も減るだろう。これを社会が容認すれば、完全自動運転(レベル4)の適用域は飛躍的に広がる。私は、こちらを推すものだ。
現実の自動運転は、この二つの技術が融合したものになっていくだろう。したがって、このような技術的現実を踏まえた、法的、社会的対応が必要だ。
ところが、自動運転の法律論を述べるエントリーの多くは、後者について余り理解していない。法律論として扱いが難しいのは、後者なのだ。
-
社会的な二つの未来
以上を踏まえた上で、社会には二つの未来が提示されている。
一つは、自動運転を抑圧する未来だ。
もう一つは、自動運転を活用する未来だ。
前者は、自動運転という新技術に対して強すぎる警戒という感覚が社会を覆う場合だ。単なる普通の交通事故は、ヒトが起こせば大きいニュースにならない。しかし、自動運転車であると、大騒ぎする。そういう感覚がもたらすものだ。
また、タクシー業界など、自動運転に既存のビジネスモデルと既得権が脅かされ、変化や進化が促される業界の反対も強い。Uberなどの、ライドシェアサービスへの反対と同種である。
米国の自動車業界でも、すでに対応は分かれている。自動運転車も人間の運転者が必要(自動運転車専用の免許証を取得したドライバーの乗車を義務づける)という米カリフォルニア州車両管理局(DMV)案に与するメーカーと、グーグルなどと組んで自動運転を突破口にしようとするフィアット・クライスラーに分かれている。
-
安全の皮を被った「赤旗法」にご用心
この状況は、自動車が生まれた時と同じだ。
典型的なのは、英国の「赤旗法」である。
自動車は、運転手、機関員、赤い旗を持って車両の60ヤード(55メートル)前方を歩く者の3名で運用することを規定する。赤い旗かランタンを持った人は、歩く速度を守り、騎手や馬に自動車の接近を予告する。
赤旗法 - Wikipediaより引用。
新しいものには反発がつきものだ。特に、「安心・安全」の皮を被った既得権維持政策は、大衆に受け入れられやすい。しかし、イノベーションなくして豊かで持続可能な社会は実現できない。特に、イノベーションの恩恵を最も被るのは、実は弱者なのだ。自動運転は、身体障害者、高齢者、低所得層、そして人口がまばらな過疎地や限界集落などに大きな恩恵をもたらす。
したがって、行政、専門家、メーカーなどの関係者は、冷静で客観的な情報を提供する責務があるのだ。そして、広範な利害関係者である私たちこそが、冷静に判断する必要がある。それは私たちの未来に関わることだからだ。